音楽 POP/ROCK

バズコックス 『ラヴ・バイツ』

2018.12.28
バズコックス
『ラヴ・バイツ』
1978年作品


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 2018年12月6日、ザ・フォールのマーク・E・スミスに続いて、マンチェスターの詩人がもうひとり逝ってしまった。心臓発作で亡くなったバズコックスのフロントマン、ピート・シェリー(享年63歳)の本名はピーター・マクニーシュ。詩人のパーシー・シェリーから名前を拝借したのだと長年思い込んでいたのだが、追悼記事を幾つか読んでいて、子供が女の子だった時のために彼の両親が用意していた名前がシェリーだったという謂れを初めて知った。バイセクシュアルで、性を特定する代名詞を歌詞に使わなかったピートらしいエピソードだ。

 エピソードと言えば、デビューを待たずして彼がマンチェスターの音楽シーンに計り知れない影響を与えた一件にも、触れないわけにはいかないだろう。1976年春に大学で出会ってバズコックスを結成したピート(ヴォーカル/ギター)とハワード・デヴォート(ヴォーカル)は、地元のシーンを盛り上げるべく、セックス・ピストルズのマンチェスター初公演を自ら企画。同年6月に実現した公演の客の入りは、映画『24アワー・パーティー・ピープル』に描かれていた通り、寂しいものだった。しかし40人余りの観衆の中には前述したマークやモリッシー、のちのジョイ・ディヴィジョン?ニュー・オーダーのメンバーらが含まれ、みんなピストルズに触発されて続々ミュージシャンを志したのである。

 そしてピートとハワードも、スティーヴ・ディグル(ベース)とジョン・マー(ドラムス)のラインナップで活動を本格化し、翌年初めにEP『Spiral Scratch』を独自のレーベルNew Hormonesからリリース(これは前例のない試みで、英国で続々インディ・レーベルが誕生するきっかけになったとされている)。EP発表から間もなくハワードが脱退し、単独でヴォーカリストを務めることになったピートは、自分の感性に準じてバンドの形を変えていく。というのも、ピストルズ譲りのアグレッシヴなサウンドと、ハワードの威嚇するようなヴォーカルを特徴としていた『Spiral Scratch』に対し、新布陣(スティーヴはギタリストとなり、新たにスティーヴ・カーヴィーがベーシストとして加入)で制作したファースト『アナザー・ミュージック』(1978年)では、ピートの歌心が一気に開花。彼のチルドレンのひとりであるグリーン・デイのビリー・ジョー・アームストロングが追悼メッセージで、「ラウドな豪速パンクに美しいメロディを乗せることを恐れなかった人」と讃えていたように、タイトなリズム・セクション、競い合うような2本の轟音ギター、そしてピートのフレンドリーな歌声とたまらなくキャッチーなメロディが奏でたのは、怒ることも嘲笑することもしないパンクロックだった。そう、彼はオリジナル・パンク世代では例外的に、ひたすら恋心について綴ったのである。複雑な心境を簡潔な言葉で語り尽して。だからこそピートの曲はタイムレスかつ普遍的で、デュラン・デュランからモグワイ、彼らを前座に起用したニルヴァーナとパール・ジャム、ポップパンクやエモ勢に至るまで、驚くほど幅広い後続アーティストをインスパイアしたのだろう。

 そんな彼の〈恋するパンク〉の魅力を知るには、アルバムに入っていないイイ曲が多いだけに、シングル集『Singles Going Steady』も必携なのだが、筆者の個人的なフェイバリットは、甘さと苦さが入り混じるピートらしいタイトルを冠したセカンド『ラヴ・バイツ』(全英チャート最高13位)だ。40周年を記念するリイシューが2019年1月末に控える本作は、ファーストのリリースから僅か半年後の、1978年9月にお目見え。前作と同じく、ヒューマン・リーグやザ・ストラングラーズの名盤を手掛けたマーティン・ラシェント(彼も7年前に同じく63歳で亡くなっている)のプロデュースでレコーディングし、古典的名曲にしてバンド最大のヒット曲「エヴァー・フォールン・イン・ラヴ?」(全英チャート最高12位)を収めた1枚である。

 フル・タイトルは『Ever Fallen In Love(With Someone You Shouldn't've)』、つまり、〈恋してはならない人に恋してしまったことはあるかい?〉みたいな感じだろうか。なんでも、ミュージカル映画『野郎どもと女たち』をテレビで観ていて、登場人物のひとりがそう口にするのを耳にして閃いたそうで、なぜ許されない恋なのか曲の中では理由を説明していないのだが、随分あとになってひとりの男性との関係に根差していたことを、彼は明かしている。

 この曲が好例で、ピートの定番テーマはずばり、〈報われない恋〉。彼の恋は常に難航し、混乱してどうすることもできずにいて、そういう自分を率直にさらすことで、強がらなくていいんだよ、途方に暮れていていいんだよって、いつも教えてくれていたような気がするのだ。〈君〉がいないと途端に壊れてしまう自分を修復するためのマニュアルが欲しい!と訴える「オペレイターズ・マニュアル」然り、超能力があれば想いを伝えられるのにーーとぼやく『ESP』も然り、このあとも新しい出会いはあると分かっていながら、失恋に打ちのめされている「ナッシング・レフト」も然り。だから「シックスティーン・アゲイン」で、人間の面倒くさい面をまだ知らなかった〈16歳の頃に戻りたい〉と綴っているのも無理はない。当時21歳のピートが、〈君を幸福にしてくれるものは、同時に君を苛むだろう〉とか〈人生は死ぬことの埋め合わせに過ぎない〉とか、大人のリアリティと向き合う姿は本当に切ない。

 また本作が面白いのは、ポップな3分パンク終始するのかと思いきや、終盤でインストの変化球を投げてくるところだ。中でも、クラウトロックの影響が窺えるフィナーレ「レイト・フォー・ザ・トレイン」は約6分に及び、サード『ア・ディファレント・カインド・オブ・テンション』(1979年)でより顕著になる路線を予告していた。元々ピートはエレクトロニック音楽の大ファンで、10代の時にエレクトロニックなインスト曲集を制作したくらいだから、パンクと出会う前のルーツに立ち返ったとも言えるのだろう。

 もっとも、バズコックス自体は完全な進化を遂げることなく、1983年に一旦解散。ピートはソロ作品でさらにエレクトロニックな表現を掘り下げ、6年後にバンドを再結成し、それからは再びパンク路線でツアーとアルバム制作に精力的に取り組むことになる。日本にも1990年以降は何度か来ており、筆者が最後に観たのは2006年秋、場所は東京・渋谷のライヴハウスだったろうか。ちょうど東京ドームではマドンナが公演していて、2時間遅れで彼女のショウが始まる頃には、バズコックスはすっかり名曲満載の痛快なライヴを終えていた。「もしかしたら両方観られたかもしれないね」などと知人と話したことを覚えているが、あの日バズコックスを選んで本当に良かったなと、今改めて痛感している。
(新谷洋子)


【関連サイト】
buzzcocks.com

『ラヴ・バイツ』収録曲
1. リアル・ワールド/2. エヴァー・フォールン・イン・ラヴ?/3. オペレイターズ・マニュアル/4. ノスタルジア/5. ジャスト・ラスト/6. シックスティーン・アゲイン/7. ウォーキング・ディスタンス/8. ラヴ・イズ・ライズ/9. ナッシング・レフト/10. ESP/11. レイト・フォー・ザ・トレイン

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