ジャネット・ジャクソン 『ザ・ヴェルヴェット・ロープ』
2019.04.03
ジャネット・ジャクソン
『ザ・ヴェルヴェット・ロープ』1997年作品
ストリーミングが主流の今、自分が聴いている曲がどんなジャケットをまとうアルバムに収められているのか、みんなたいして意識していないのかもしれない。でも、少なくともこの『ザ・ヴェルヴェット・ロープ』(全米チャート最高1位)がリリースされた1997年当時、ジャケットは作品の予告として、リスニング体験と切り離せない重要な意味を持っていた。本作の場合は予告というより〈警告〉に近いのだろうか。ファッション・フォトグラファーのエレン・フォン・アンワースが撮影したジャネット・ジャクソンは俯いている。アイドル人気を誇った女性アーティストが、顔がはっきり写っていない写真を使うとなると、それは、これまでとは何かが違うのだという意思表示であり、30代に突入して間もなかった彼女が送り出したのは、確かに衝撃的な作品だった。
16歳でデビューしたジャネットは、本作に至るまでに5枚のアルバムを発表。最初の2枚(1982年の『ヤング・ラヴ』と1984年の『ドリーム・ルーム』)は、ディスコの匂いが残るR&Bポップで統一されていたが、ご存知の通りサード『コントロール』(1986年)でジミー・ジャム&テリー・ルイスという最良の音楽的パートナーと出会い、ヒップホップの影響を取り入れてファンクをアップデート。ニュー・ジャック・スウィングと総称されるサウンドを開拓して、4作目『リズム・ネイション1814』(1989年)でも踏襲したのち、彼女は5作目『ジャネット』(1993年)で、引き続きジャム&ルイスとコラボしながらまた新しいスタイルを打ち出す。テンポを緩めてオーガニックなグルーヴでアルバムを満たし、女性のセクシュアリティをオープンに歌って。
そして、その『ジャネット』及びベスト盤『デザイン・オブ・ア・ディケイド/グレイテスト・ヒッツ』(1995年)の大ヒットを受け、当時最高記録の8千万ドルの契約金でレーベルとの契約を更新したばかりだったジャネット。ここにきてセールスを度外視し、多数のインタールードを含めて計22曲・75分というボリュームの、キャリアで最も実験的かつパーソナルなアルバムを作った。作らずにはいられなかった、と言い換えることもできるかもしれない。というのも、前作に伴うツアー中に彼女は精神的に極度に落ち込み、立ち直るためにはその原因と向き合うしかないと悟ったのだという。ショウビズ一家に育って7歳の時からステージに立ち、衆目にさらされて生きることのプレッシャーやアイデンティティ・クライシスに苦しみながら、自分をひたすら抑圧してきた20余年間の歪みが限界に達したのだ、と。そこでカウンセリングを受ける代わりに、ジャム&ルイスと当時の夫レネ・エリゾンド・ジュニアの手を借りて、長い間封印していた様々なトラウマを直視しながら曲作りを行なった。
そんなプロセスを分かりやすく伝えているのが、ジャネットが自己と問答している「ユー」であり、いつものハイトーン・ボイスだけでなく地声も多用し、時には別人みたいな声を使って、秘めた想いを次々に掘り起こし、白日の下に晒して自分を解放していく。精神的・肉体的虐待で自分を苦しめたパートナーに宛てられている「ホワット・アバウト」然り、エイズで亡くなった友人たちを追悼する「トゥゲザー・アゲイン」然り。そして「エヴリ・タイム」で恋人に心を開けない自分を論じたかと思えば、「マイ・ニード」や「ロープ・バーン」では、前作以上にオープンにセクシュアルな欲望を歌う。殊にダークな「マイ・ニード」では、〈ブルースが苦しみを必要とするようにあなたを求めている〉というフレーズにゾクっとさせられるが、本作では、より広い意味でのセクシュアル・フリーダムに言及していることも、特筆するべき点だろう。ロッド・スチュワートの1976年の曲のカヴァー「トゥナイツ・ザ・ナイト」では、人称を女性形のままにすることで同性関係のストーリーに仕立て、「フリー・ゾーン」では〈愛に境界はない〉と説き、性的マイノリティへの差別を糾弾。内省を極める一方で、広い視野を維持して社会全体が抱える病に触れることを忘れない。
また、「エンプティー」は昨今しばしば指摘されているように、デートアプリ全盛時代の到来を予期していたみたいな、ネット越しの恋愛をテーマにした曲。ダイアルアップ接続の懐かしいノイズを織り交ぜて、会ったこともない人と秘密を分かち合う自分はどうかしているのか? それともこれが新しい愛の形なのかと問いかける。「フリー・ゾーン」もやはり、セクシュアリティ論議が深まっている2010年代に実にタイムリーに響くし、これまた非常に今っぽい折衷的なサウンド志向も相俟って、驚くほどコンテンポラリーに聴こえるアルバムだ。
そう、こうした多様な題材をジャム&ルイスは、ヒップホップ、トリップホップ、エレクトロニカ、ディスコ、ジャズ、ロック......と、同様に幅広いサウンドに乗せて、インタールードを介して巧みに1本の流れに編み上げていく。サンプリングも積極的に取り入れて、ジェネシスからマルコム・マクラレンまで意外なネタがあちこちに潜んでおり、ジョニ・ミッチェルとア・トライブ・コールド・クエストのQティップを同じ曲にフィーチャーするセンスも斬新。ジョニの「ビッグ・イエロー・タクシー」(1970年)を借用したそのシングル曲「ゴット・ティル・イッツ・ゴーン」で昔の恋人を懐かしむジャネットは、何かを失って初めて人間はその本当に価値を知るのだと歌うジョニに、優しく慰められているかのようだ。
では最終的に彼女は心の平安を取り戻すことができたのか? ラストの「スペシャル」を〈work in progress(作業は進行中)〉と囁いて締め括るジャネットは、決着がついていないことを仄めかし、自分を解放できるのは自分自身だけなのだと我々にも呼びかけている。が、こんなにヘヴィなアルバムを作ったのはこれが最初で最後。7作目の『オール・フォー・ユー』(2001年)は、レネとの離婚劇の渦中で制作されたにもかかわらず、いたって明るいポップ・アルバムだった。それは『ザ・ヴェルヴェット・ロープ』という名のセラピーの成果なのかもしれないし、だから尚更、夢か幻かと思ってしまうほど本作は特異な鈍い輝きを放っている。
(新谷洋子)
【関連サイト】
『ザ・ヴェルヴェット・ロープ』収録曲
1. インタールード-ツイステッド・エレガンス/2. ヴェルヴェット・ロープ/3. ユー/4. ゴット・ティル・イッツ・ゴーン/5. インタールード-スピーカー・フォン/6. マイ・ニード/7. インタールード-ファーストン・ユア・シートベルト/8. ゴー・ディープ/9. フリー・ゾーン/10. インタールード-メモリー/11. トゥゲザー・アゲイン/12. インタールード-オンライン/13. エンプティー/14. インタールード-フル/15. ホワット・アバウト/16. エヴリ・タイム/17. トゥナイツ・ザ・ナイト/ 18. アイ・ゲット・ロンリー/19. ロープ・バーン/20. エニシング/ 21. インタールード-サッド/22. スペシャル
1. インタールード-ツイステッド・エレガンス/2. ヴェルヴェット・ロープ/3. ユー/4. ゴット・ティル・イッツ・ゴーン/5. インタールード-スピーカー・フォン/6. マイ・ニード/7. インタールード-ファーストン・ユア・シートベルト/8. ゴー・ディープ/9. フリー・ゾーン/10. インタールード-メモリー/11. トゥゲザー・アゲイン/12. インタールード-オンライン/13. エンプティー/14. インタールード-フル/15. ホワット・アバウト/16. エヴリ・タイム/17. トゥナイツ・ザ・ナイト/ 18. アイ・ゲット・ロンリー/19. ロープ・バーン/20. エニシング/ 21. インタールード-サッド/22. スペシャル
月別インデックス
- October 2024 [1]
- September 2024 [1]
- August 2024 [1]
- July 2024 [1]
- June 2024 [1]
- May 2024 [1]
- April 2024 [1]
- March 2024 [1]
- February 2024 [1]
- January 2024 [1]
- December 2023 [1]
- November 2023 [1]
- October 2023 [1]
- September 2023 [1]
- August 2023 [1]
- July 2023 [1]
- June 2023 [1]
- May 2023 [1]
- April 2023 [1]
- March 2023 [1]
- February 2023 [1]
- January 2023 [1]
- December 2022 [1]
- November 2022 [1]
- October 2022 [1]
- September 2022 [1]
- August 2022 [1]
- July 2022 [1]
- June 2022 [1]
- May 2022 [1]
- April 2022 [1]
- March 2022 [1]
- February 2022 [1]
- January 2022 [1]
- December 2021 [1]
- November 2021 [1]
- October 2021 [1]
- September 2021 [1]
- August 2021 [1]
- July 2021 [1]
- June 2021 [1]
- May 2021 [1]
- April 2021 [1]
- March 2021 [1]
- February 2021 [1]
- January 2021 [1]
- December 2020 [1]
- November 2020 [1]
- October 2020 [1]
- September 2020 [1]
- August 2020 [1]
- July 2020 [1]
- June 2020 [1]
- May 2020 [1]
- April 2020 [1]
- March 2020 [1]
- February 2020 [1]
- January 2020 [1]
- December 2019 [1]
- November 2019 [1]
- October 2019 [1]
- September 2019 [1]
- August 2019 [1]
- July 2019 [1]
- June 2019 [1]
- May 2019 [1]
- April 2019 [2]
- February 2019 [1]
- January 2019 [1]
- December 2018 [1]
- November 2018 [1]
- October 2018 [1]
- September 2018 [1]
- August 2018 [1]
- July 2018 [1]
- June 2018 [1]
- May 2018 [1]
- April 2018 [1]
- March 2018 [1]
- February 2018 [1]
- January 2018 [2]
- November 2017 [1]
- October 2017 [1]
- September 2017 [1]
- August 2017 [1]
- July 2017 [1]
- June 2017 [1]
- May 2017 [1]
- April 2017 [1]
- March 2017 [1]
- February 2017 [1]
- January 2017 [1]
- December 2016 [1]
- November 2016 [1]
- October 2016 [1]
- September 2016 [1]
- August 2016 [1]
- July 2016 [1]
- June 2016 [1]
- May 2016 [1]
- April 2016 [1]
- March 2016 [1]
- February 2016 [1]
- January 2016 [1]
- December 2015 [2]
- October 2015 [1]
- September 2015 [1]
- August 2015 [1]
- July 2015 [1]
- June 2015 [1]
- May 2015 [1]
- April 2015 [1]
- March 2015 [1]
- February 2015 [1]
- January 2015 [1]
- December 2014 [1]
- November 2014 [1]
- October 2014 [1]
- September 2014 [1]
- August 2014 [1]
- July 2014 [2]
- June 2014 [1]
- May 2014 [1]
- April 2014 [1]
- March 2014 [1]
- February 2014 [1]
- January 2014 [1]
- December 2013 [2]
- November 2013 [1]
- October 2013 [1]
- September 2013 [2]
- August 2013 [2]
- July 2013 [1]
- June 2013 [1]
- May 2013 [2]
- April 2013 [1]
- March 2013 [2]
- February 2013 [1]
- January 2013 [1]
- December 2012 [1]
- November 2012 [2]
- October 2012 [1]
- September 2012 [1]
- August 2012 [2]
- July 2012 [1]
- June 2012 [2]
- May 2012 [1]
- April 2012 [2]
- March 2012 [1]
- February 2012 [2]
- January 2012 [2]
- December 2011 [1]
- November 2011 [2]
- October 2011 [1]
- September 2011 [1]
- August 2011 [1]
- July 2011 [2]
- June 2011 [2]
- May 2011 [2]
- April 2011 [2]
- March 2011 [2]
- February 2011 [3]