音楽 POP/ROCK

MIKA 『ライフ・イン・カートゥーン・モーション』

2020.01.20
MIKA
『ライフ・イン・カートゥーン・モーション』
2007年作品


mika j1
 ベイルートにて、シリアの血を引くレバノン人の母とアメリカ人の父の間に誕生し、内戦を逃れて1歳から10年間をパリで過ごして、9歳の時にロンドンに移住。英語、フランス語、イタリア語、スペイン語を流暢に操り、フィレンツェとマイアミを拠点に音楽活動を行なう傍ら、フランスとイタリアでテレビ番組にレギュラー出演し、英国BBCのラジオで不定期の番組を持つーー。音楽界で最も"マルチカルチュラル"もしくは"コスモポリタン"という形容詞が似合うアーティスト、MIKAことマイケル・ホルブルック・ペニマン・ジュニアの経歴を急ぎ足で辿ると、ざっとこんなところになるのだろうか。世界で600万のセールスを記録したこのデビュー・アルバム『ライフ・イン・カートゥーン・モーション』(全英チャート最高1位)も、まさに、どこにも属さない男ならではの異彩を放っていた。

 いや、正確には、リリースされた2007年当時異彩を放っていたのであって、大ヒットを博した一方、一部メディアには嘲笑されもしたものだ。『ガーディアン』紙のアルバム評は、滅多にない1つ星。『NME』誌主催のアウォードでは、ジェームス・ブラントの『1973』などと共にワースト・アルバムの候補に挙がっていた。なにせ同年の英国の音楽界で「カッコいい」とされていたのが誰だったのかといえば、その『NME』アウォードの結果を一瞥するのが手っ取り早い。ヒーロー・オブ・ジ・イヤーはピート・ドハーティ、ベスト・バンドはアークティック・モンキーズ、ベスト・アルバムはクラクソンズのファースト、ベスト・ニュー・バンドはジ・エネミー......。つまり、野郎臭いインディ・ロックだ。

 ロンドンの王立音楽院で声楽を学び、(レコード会社の資料によると)4オクターブの声域を誇るMIKAは、彼らの対極にあった。カラフルな衣装に身を包み、フレディ・マーキュリーやエルトン・ジョン、ハリー・ニルソンやプリンスを敬愛する彼が志向したのは、ピアノが主役の1970年代のシンガーソングライター・スタイル、旺盛なショウマンシップとシアトリカリティ、そして、確かなミュージシャンシップに裏打ちされた音楽。クラシックの要素も随所に取り入れた、キッチュでキャンプ極まりないポップ・ミュージックだった。

 それに出自からしてアウトサイダーだっただけに、流行を気にしたり、群れに加わったりする人じゃなかった。それゆえに少年時代はイジメに苦しみ、孤独感を音楽への情熱で癒したMIKAは、自分だけの世界を築いて、そこに救いと安らぎを見出していたのだとか。本作はそんな彼が自分の子供時代のハイとロウを振り返る成長の記録であり、誰にも束縛されずに生きたいという願いを込めたデビュー・シングル「グレース・ケリー」(全英チャートでは5週間ナンバーワンに)で幕を開ける。ロッシーニのオペラ『セビリアの理髪師』の「私は町の何でも屋」からメロディを拝借したというMIKAらしい裏話がある曲だが、イタリアン・オペラのほかにもディスコ(「ラヴ・トゥデイ」「リラックス(テイク・イット・イージー)」)、ニューウェイヴ・ロック(「リング・リング」)、古風なジャズ(「スタック・イン・ザ・ミドル」)......と、アルバムが網羅するジャンルは途方もなく幅広い。彼がオペラ歌手ではなくポップ・シンガーを選んだ理由はまさしくそこにあり、リリース直後に筆者がインタヴューした際、次のように話していた。「クラシックだと必然的に、すでに何百何千という人が演奏した曲をなぞる、"解釈者"にしかなれない。でも僕は練習量じゃなくて、アイデアのオリジナリティで勝負したかったし、ポップ・ミュージックはたくさんの要素を包含できるからね」

 そういう人だから、そのハイとロウの差はかなりエクストリームで、子供向けテレビ番組に登場しそうな無邪気な曲から、哀しみに打ちひしがれたバラードまで、両極に振り切れながらアルバムは進行する。屈託なく恋の喜びを表した「ラヴ・トゥデイ」があったと思えば、ゴスペル隊を従えた「ハッピー・エンディング」では絶望的なブレイクアップを歌う。"希望も栄光もなくハッピーエンドは永遠に失われた"と。また、「ビッグ・ガール(ユー・アー・ビューティフル)」もハイな1曲で、女性の魅力は体型とは無関係なのだと訴えるファンキーな応援歌。最近になって盛んに議論されている"美の基準"という問題を取り上げた、画期的な曲だ。

 かと思えば壮麗なストリングス(エルトンの諸作品で知られる名人ポール・バックマスターがアレンジ)に彩られた「エニー・アザー・ワールド」では、人々のささやかな夢が、愚かな権力者の決断ひとつで瞬時に奪われるという、歴史を通じて繰り返されてきた悲劇を嘆いていて、妙にタイムリーに聴こえなくもない。冒頭ではMIKAの家族の知人で、レバノンの内戦中に爆撃で片目と夫を失った女性が、自身の体験を語っている。戦争のせいで故郷を離れた彼にとって、触れずにいられなかったテーマなのだろう。

 人生がある日突然ひっくり返るーーと言えば、ホーンが鳴り響く「ビリー・ブラウン」のストーリーも然り。妻子と普通の生活を送っていた主人公ビリーは、いきなり男性と恋に落ちてしまったのだから。さすがにこれは実体験に根差しているわけではなく、ファンタジーなのだと説明していたが、その後12年にゲイとしてカムアウトしたMIKAは、我々に合図を送っていたのかも?

 そしてアルバムは、シークレット・トラックの「オーバー・マイ・ショルダー」で幕を閉じる。ワルツの形をとり、ピアノの弾き語りでボーイ・ソプラノ風のハイトーン・ボイスで歌う、最もクラシカルなスタイルの曲だ。前述したように、イジメにあって心に大きな怒りを抱いていた16歳の自分を回想し、忘れたいはずの体験を美しいエピローグに仕立てた彼。これまた前述したインタヴューでの発言だが、MIKAはアルバム・タイトルの意味に触れつつ、「大人になる過程にはどこかアニメっぽいシュールなフィーリングがあって、それを表現したかった」と話していた。「なぜって子供時代は何もかもが猛スピードで起きて、自分が何をしているのかよく分からないまま時間が過ぎていくだろ? 時速150マイルのスピードで走りながら進むべき道を見極めて、あとで振り返ると"いったいどうやってあの時代を切り抜けたんだろう?"って思うんだよね」ーーそう、これはまさしく孤高のサバイバーの、崇高な回想記。ワースト・アルバムなどと呼ばれてはたまらないのである。
(新谷洋子)


【関連サイト】
『ライフ・イン・カートゥーン・モーション』収録曲
01. グレース・ケリー/02. ロリポップ/03. マイ・インタープリテイション/04. ラヴ・トゥデイ/05. リラックス(テイク・イット・イージー)/06. エニィ・アザー・ワールド/07. ビリー・ブラウン/08. ビッグ・ガール(ユー・アー・ビューティフル)/09. スタック・イン・ザ・ミドル/10. ハッピー・エンディング

月別インデックス