音楽 POP/ROCK

フランツ・フェルディナンド 『フランツ・フェルディナンド』

2020.04.26
フランツ・フェルディナンド
『フランツ・フェルディナンド』
2004年作品


Franz Ferdinand j1
 「女の子が踊れる音楽を作る」。
 2020年現在のジェンダー意識を巡る厳しい基準に照らすと、こんなことを言ったら、性差別的だ!とか、男が踊れる音楽とどう違うんだ!とか、あれこれ非難を浴びてしまうかもしれない。が、フランツ・フェルディナンドがデビュー当時掲げていたこのモットーは、彼らが考えるにマッチョに傾いていたロックをもっと平等で開かれた表現にするという、まっとうな意図に根差していた。実際1990年代後半からの、ニューメタルにエモにガレージロック・リバイバルといったロックのトレンドは、カッコいいバンドも数多くいたとはいえ、総じて男臭いし、ともすると閉鎖的に見えて、特にUKロック好きの女子にとってあまり楽しいものじゃなかったのを覚えている。そこに救世主のごとく現れたのが、グラスゴー出身の4人組だった。スマートな見た目も悪くなくて。でもそれ以上に魅力的だったのは音楽である。世界で300万枚を売ったファースト『フランツ・フェルディナンド』(全英チャート最高3位)は、〈踊れるロック〉という点においては、DFA所属のアーティストたちが主導したダンスパンク・ムーヴメントに通ずる部分があったが、彼らの〈踊れるロック〉はそれをさらに数百倍ポップに、かつアーティスティックな表現に昇華させていた。

 そう、フランツ・フェルディナンドはしばしば、UKロックのひとつの伝統である〈アートスクール系〉の1組として語られ、結成当初はグラスゴーのアート・シーンと深い関わりがあった。とはいえ実際に美術学校を卒業したメンバーは、名門グラスゴー・スクール・オブ・アートで絵画を専攻した、最年少のベーシスト=ボブ・ハーディのみ。強いて言えば、ドラマーのポール・トムソンはバンド活動の傍ら同校でヌードモデルとして活躍していたから、アート系と言えばアート系か? また、人生の大半をドイツで過ごしたギターのニック・マッカーシーはミュンヘンの音楽学校でジャズのダブルベースなどを学び、彼と一緒にソングライターを務めたフロントマンのアレックス・カプラノスは、大学で神学や英文学を勉強。その後グラスゴーのライヴハウスのプロモーターとして働き、多数のバンドを掛け持ちして1990年代を過ごした。

 そんな4人は、仕事柄地元シーンで顔が広かったアレックスが主導する形で2002年にバンドをスタートするのだが、全員に共通するのは、オールジャンルの音楽、文学、アート、映画、ファッション、食に至るまで、興味と知識の範囲が途方もなく広いってこと。だからこそ、ロシア・アヴァンギャルドやダダイズムの影響がヴィジュアルに表れるのも不思議なことではないし、このデビュー・アルバムのプロデューサーにスウェーデン人のポップ達人トーレ・ヨハンセンを指名したのも、彼らならでは(カーディガンズとのコラボで頭角を現した彼は、BONNIE PINKを始め多数の邦楽アーティストの作品にも関わっていたから日本での知名度は高かったものの、英米では当時は無名に等しかった)。とにかくたくさんのインスピレーションを消化し、徹底した凝り性でありながら、こだわりを見せびらかさずに、あくまでシンプルで楽しい表現に落とし込む。少なくとも本作では、それがフランツ・フェルディナンドのやり方であり、バンド名/アルバム・タイトルだけを配したジャケットが中身を見事に象徴していると思う。演奏しているのは4人だけ。ほぼ全曲、シャープなギターとファンキーなベース&ドラム、そしてクセのあるアレックスの歌で構成され、アルバムの尺は計11曲で38分。最低限の要素で最大限のインパクトを与えるテクニックを備えたアレックス&ニックは、1秒たりとも無駄にしない。ギター・ソロなど論外だし、場合によってはイントロもない。冒頭の「ジャクリーン」然り、大ヒット曲「テイク・ミー・アウト」もあってないようなもの。というか、彼らの曲はぶっちゃけサビの連続ーー全部がサビなのである。使う言葉も小難しくない。くどくど状況説明をしない。「ジャクリーンって誰?」とか「マイケルってことは男だから、もしかして......」などと思っている間に曲が終わってしまうから、聴き手にイマジネーションを要求する。でも言いたいことは鮮明に伝わってくる。主要な関心事は、ずばり欲望。爆発寸前の欲望、悶々とした欲望、報われない欲望だ。

 ちなみに、作詞を担当するアレックスは自分自身の体験ではなく、周囲の人たちをネタにしていたといい、「マイケル」の題材を提供したのは彼が知るゲイ・カップル。ストレートであるアレックスが第一人称で同性への想いを歌ったことで大いに物議を醸したものだが、そこは役者型シンガーの彼、恐るべき説得力で爆発しそうな欲望をテンション満々に描く。片や、タイトル通りに欲望がすでに爆発しちゃっているのが「ディス・ファイア」。主人公は制御不能な、甘くも破壊的な欲望の炎を内に燃やし、「ダーツ・オブ・プレジャー」はと言えば、狙いを定めて〈毒を塗った悦楽のダーツ〉で口説き落とそうと企む男の歌だ。危険なムードを醸しておきながら、後半に転調して、突如ドイツ語で〈俺の名はスーパー・ファンタスティック/スモークサーモンを肴にシャンペンをあおる〉と叫び始めるという、半ばコミカルな展開がたまらない。

 一方の悶々系に該当するのは、「ザ・ダーク・オブ・ザ・マチネ」や「アウフ・アクサ」。前者では、マチネ(昼公演)という仮の夜の空間で若者が妄想を膨らませていて、報われない恋心に苛まれている後者の主人公は、十字架にかけられたキリストに自分を準える。身を切り裂かれ、血を流していて。この手の少々バイオレントなイメージも本作には珍しくなくて、「テイク・ミー・アウト」も実は穏やかじゃない。〈take out〉を〈デートに誘って〉と解釈している人も多いんだろうけど、ここで言う〈take out〉は〈殺して〉のほう。恋愛関係の終わりを予感している男が、生殺し状態に耐えられず、とどめを刺してくれと懇願しているというわけだ。

 こんな曲で踊るのも、ついつい一緒に〈さあ殺してくれ!〉と大声で歌ってしまうのも奇妙な話なのだが、「女の子が踊れる音楽を作る」に加えて、彼らにはもうひとつ壮大なゴールがあった。「第一次世界大戦のソンムの戦いでの戦死者数を知らされた時に、ダグラス・ヘイグ英国軍司令官の頬を伝って落ちた涙に匹敵する、エモーショナルなインパクトを与えたい」というヤツだ。それくらいの意気込みが、どうやらこの大仰なドラマ性を導き出したらしい。つまり、泣きながら踊るのが、フランツ・フェルディナンドの正しい楽しみ方なのである。

 最後にナマで彼らを観たのは2018年1月。2016年にニックが脱退し、彼がいたはずのスペースを意識せずにはいられなかったものの、ライヴ・パフォーマンスに不服はなかった。「テイク・ミー・アウト」も「ザ・ダーク・オブ・ザ・マチネ」もプレイしてくれたし、ラストは「ディス・ファイア」で完全燃焼。満員の会場ではみんな踊りまくっていた。女の子だけじゃなく男の子も、そして恐らく、男の子でも女の子でもない子たちも。
(新谷洋子)

    
【関連サイト】
Franz Ferdinand『Franz Ferdinand』(CD)
『フランツ・フェルディナンド』収録曲
1. ジャクリーン/2. テル・ハー・トゥナイト/3. テイク・ミー・アウト(ラジオ・エディット)/4. ザ・ダーク・オヴ・ザ・マチネ/5. アウフ・アクサ/6. チーティング・オン・ユー/7. ディス・ファイア/8. ダーツ・オブ・プレジャー/9. マイケル/10. カム・オン・ホーム/11. 40’

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