音楽 POP/ROCK

マックス・リヒター 『ブルー・ノートブック』

2020.10.21
マックス・リヒター
『ブルー・ノートブック』
2004年作品


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 2003年2月14から16日にかけて、世界中の都市の目抜き通りを老若男女が埋め尽くす、記録的規模のデモが行われた。集まったのは言うまでもなく、イラク戦争を阻止したいという想いで結ばれた人々だ。東京でも明治公園を出発点に2万人以上が行進したものだが、ロンドンでの参加者は約100万人に上り(150万もしくは200万人という説もある)、リビングストン市長からモデルのケイト・モス、音楽界で反戦運動を牽引していたブラーのデーモン・アルバーンとマッシヴ・アタックの3Dもその100万人に含まれていたという。そして、マックス・リヒターの姿もそこにあった。当時はまだ一部のクラシック・ファンにしか知られていなかったため、ニュース記事に名前は見当たらないが、1枚のアルバムにこの事実が刻まれている。デモに参加して大いにインスピレーションを得た彼がすぐに曲作りに着手し、2週間後には僅か3時間ほどでレコーディングを済ませてしまったセカンド・アルバム『ブルー・ノートブック』(2004年)である。つまり本作は、クラシック音楽に軸足を置くアーティストによるプロテスト・アルバムという極めて珍しい作品であり(ゆるく同じ文脈で語れそうなのは、ほぼ同時期に登場した坂本龍一の『キャズム』だろうか?)、同時に、クラシックとエレクトロニカがクロスオーバーする、所謂ポスト・クラシカルという新ジャンルのひな型を提示した作品でもあった。

 というのも、彼の嗜好はクラシックに限定されていなかった。1966年にドイツで生まれたのちに家族と英国に移り住んだマックスは、王立音楽院などでピアノと作曲と学んだという経歴を聞けば正統派のクラシック音楽家だが、世代的にパンクとポストパンクにも傾倒し、テクノやアンビエントといったエレクトロニック音楽に親しんできた人。オーケストラもシンセサイザーも同列に捉え、1本のインタヴューでマーラーにもザ・クラッシュにも言及する。当初は自ら結成した6人のピアニストのアンサンブル、ピアノ・サークルの一員として活動し、その後フューチャー・サウンド・オブ・ロンドンやロニ・サイズらエレクトロニック・アーティストたちとコラボ。2002年にLate Junction(BBCが運営していたクラシック・レーベル)から、BBCフィルハーモニックを迎えて録音し、ミニマル音楽やアンビエント音楽の影響を映すアルバム『メモリーハウス』でソロ・デビューを果たした。

 そして次の『ブルー・ノートブック』でさらにクロスオーバー表現を掘り下げるだが、同時にマックスは、確固としたコンセプトやテーマを掲げてオリジナル・アルバムを制作するという、現在も維持しているスタンスを打ち出した(2015年には就寝中に聴くための8時間に及ぶ作品『スリープ』をリリースし、2020年に登場した『ヴォイセズ』は国連世界人権宣言を題材にしている)。そもそもポスト・クラシカルと分類される音楽は、現代音楽やミニマル音楽より日常生活に容易に馴染む親しみやすさを備えているが、彼の作品の場合、こうしたテーマ性が一層間口を広げているように思う。また、本作を発表するにあたってマックスは英国のインディ・レーベルFatCat傘下の130701と新たに契約したのだが、以来ハウシュカ、ダスティン・オハロラン、故ヨハン・ヨハンソンなどなど志を同じくするミュージシャンたちがあとを追うようにして130701に移籍。すっかりポスト・クラシカル専門レーベルと化したことも、指摘しておきたい。

 本題に話を戻そう(本作は2018年に現在マックスが所属するドイツ・グラモフォンから曲を追加して再発されたが、ここでは11曲収録のオリジナル盤をベースに話を進めたいと思う)。レコーディングの所要時間が3時間というからには軽装備で臨んだ今回、奏者はマックス以外には5人のストリングス・プレイヤー(バイオリンとチェロ×各2人、ヴィオラ×1人)がいたのみ。彼らが演奏する弦楽器、ピアノ、エレクトロニクス/エフェクト、数々のフィールド・レコーディング音源をもとに構築された11曲は、クリアで美しいマイナーコードのメロディのヴァリエーションを見せつけ、非常にクラシカルな「オン・ザ・ネイチャー・オブ・デイライト」から、テクノに接近する「樹木園」やアンビエントと評せなくもない「オルガヌム」に至るまで広い幅を擁する。その合間に、タイトルトラック然り、「ウラディミールのブルース」然り、多数の短いピアノ・ソロ曲を配置して規則性を醸成。また、「樹木園」と「木々」はコード進行を、「オン・ザ・ネイチャー〜」と「空に書かれたもの」は和音を、「影の日誌」と「木々」は鋭いバイオリンの音を共有しているなど、「これ、さっきも聴いたような......?」とハッとさせる瞬間が多々あって、このような既視感もダイナミックなリズムを作り出し、1本のナラティヴに全曲を巧みに絡みつけている。

 そのナラティヴは、決して声高な反戦のメッセージではない。マックスはプラハ生まれのフランツ・カフカとポーランド人のチェスワフ・ミウォシュ、それぞれ第一次世界大戦と第二次世界大戦の時代を生きて作品にすくいとったヨーロッパの文学者の著作から、テキストを抜粋。いずれも、時間の流れや記憶、物事の脆さ・儚さを描くものだ。これらを曲間に挿入することで、反復的な曲構成がたたみかけるように醸す不安感と相俟って、人間の破壊性や残虐性を嘆き、抵抗する意を伝えているように思う。

 タイプライターを打つ音を背に、カフカとミウォシュのテキストを朗読するのは、英国人女優のティルダ・スウィントン。3つのカフカのテキストはどれも、1917年から1919年にかけて彼が綴った日記『八つ折り判ノート(The Blue Octavo Notebooks)』から抜き出されている。そもそもカフカに着目したのは、当初から真偽が疑われ、やがてでっち上げだったことが発覚する根拠(サダム・フセイン政権による大量破壊兵器の保有)に則って強引にイラクに侵攻しようとする動きに、「事実が意味を失う非現実の政治の始まりだ」とマックスが危機感を抱いたことに端を発し、抑圧的な権力と無力な個人を不条理な物語に描いたカフカの言葉が、整合性を欠いた戦争へのプロテストにうってつけだと判断したという。

 そしてミウォシュのほうも、全体主義や国粋主義への抵抗を作品に託した人で(1980年にノーベル文学賞を受賞した際の選出理由には、「苛酷な戦争の数々に見舞われた世界において人間がさらされる状況を、断固とした態度と卓識をもって語った」とある)、「影の日誌」の冒頭には、冷戦期の1982年に綴った詩「At Dawn」を引用している。現在形と過去形を織り交ぜて彼が言及しているのは、破壊された都市の運命なのだろうか? 他方、10曲目の「木々」で引いた「The Wormwood Star」でのミウォシュは、今はない生家を夢の中で訪れている。一旦生まれたものは、形は失われたとしても人間の内に存在し続ける――というような想いに希望を微かににじませて、アルバムは次の「空に書かれたもの」で幕を下ろすのだ。この「空に書かれたもの」も短いピアノ・ソロ曲だが、先ほど触れた通り、すでに一度耳にした和音が、心なしか明るさを増している気がしてならない。

 そんな『ブルー・ノートブック』をマックスは、2019年3月9日、14年ぶりに実現した来日公演でほぼ全編披露している。東京大空襲で甚大な被害を受けた東京都墨田区とすみだトリフォニーホールが共催する『すみだ平和祈念音楽祭2019』の一環という、あまりにも作品に相応しい場だった。どういうわけか筆者は直前まで来日公演があることを知らず、慌てて当日会場に向かったところ、一緒に観るはずの人の都合が悪くなったという方に、思いがけなくステージの真ん前のチケットを譲って頂いた。70年以上前に起きたことの不条理に未だ向き合えていないところがある日本で、大空襲の日の前夜にこれらの曲を聴くのは示唆に富む体験で、声をかけて下さった方に改めてここで感謝しておきたい。
(新谷洋子)


【関連サイト】
Max Richter
Max Richter 『The Blue Notebooks』(CD)
『ブルー・ノートブック』収録曲
1. ブルー・ノートブック/2. オン・ザ・ネイチャー・オブ・デイライト/3. 地平線のヴァリエーション/4. 影の日誌/5. イコノグラフィー/6. ウラディミールのブルース/7. 樹木園/8. 古い歌曲/9. オルガヌム/10. 木々/11. 空に書かれたもの

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