音楽 POP/ROCK

ケイト・ブッシュ 『雪のための50の言葉』

2022.01.25
ケイト・ブッシュ
『雪のための50の言葉』
2011年作品


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 筆者がアフリカ大陸の南端にある国で高校に通っていた頃のある冬の日、授業中に雪が降り始めた。降雪は実に40年ぶりだったそうで、先生も含めて大多数の人にとって、生まれて初めて見る雪だ。当然ながら教室内は騒然となって、みんな一斉に校庭に飛び出し、残りの授業は取りやめになるという出来事があった。まあそれは極端な例だし、破壊的な側面も持つ自然現象なのだから呑気なことは言っていられないのかもしれないが、雪にはどこか、何度体験しても、思わず戸外に飛び出してあたりを転がり周りたくなるような、ぼーっと真っ白な空を見上げて頬の上で雪が溶ける感触を楽しんでいたくなるような、マジカルでミステリアスなところがあると思う。少なくともケイト・ブッシュはこの気持ちを分かってくれているらしく、彼女は10年前に『雪のための50の言葉(50 Words For Snow)』(2011年/全英チャート最高5位)というアルバムを作った。もちろん、雪にまつわる音楽=クリスマス・ソングなどという凡庸な発想をする人ではない。ここにはまさに雪のマジックとミステリーを物語る、時に奇想天外で、美しも往々にして悲しみを含んだ、7篇の曲を収録。曲数は少ないが尺は65分に及び、1曲1曲が非常に長く、本作でのケイトはポップソング的なフォーマットに縛られることなく、ただひたすらストーリーが導くままに曲を展開させていったと察せられる。自ら弾くピアノを主体に、名手スティーヴ・ガッドのドラムスや夫ダン・マッキントッシュのギター、微かなエレクトロニック・エフェクト、ごく限定的に配したストリングス、いつになく少ない音数で構築されたサウンドスケープは、モノクロームでストイックな冬の景色そのもの。

 また、本作についてもうひとつユニークな点を挙げるとするならば、ゲスト・シンガーたちが重要な役割を担っているという点だ。例えばオープニング曲「Snowflake」でハイトーン・ボイスを披露するのは、当時12歳の息子アルバート。一片の雪を語り手に見立てて、雲の中で生まれて地上に落ちるまでの旅を描写しているのだが、遠くない将来失われてしまうのだろうアルバートのピュアな声の響きを、雪片の儚さに重ね合わせたのだろう。次いで、ふたりのテノール・シンガーの参加を得た「Lake Tahoe」は、アメリカのネバダ州とカリフォルニア州の境に広がるタホ湖が舞台。100年以上前に凍り付いた湖で溺死した女性の幽霊が、彼女を探しにきた飼い犬のスノーフレイクと共に家に帰っていく――という筋書きだ。そして「Snowed in at Wheeler Street」ではケイトが子供の頃から敬愛していたエルトン・ジョンがデュエット・パートナーを務め、ふたりは、時空を超えて出会いと別れを繰り返す不遇な恋人たちを演じる。曲の中で彼らは、大雪に見舞われた現代の町で再会を喜んでいるのだが、幸せな時間は果たして長続きするのか否か、明確な答えを与えられない。

 恋人たちと言えば、アルバム・ジャケットに直結する曲「Misty」もラヴストーリーではあるものの、ひとりの女性が恋したのは、彼女が愛情を込めて作った雪だるまのミスティ。映画『シェイプ・オブ・ウォーター』にも通ずる設定だけど、映画と違って、ハッピーには終わらない。日が暮れてから女性の部屋の部屋を訪れたミスティは、朝にはすっかり溶けて消えてしまうのだから。他方、「Wild Man」のテーマは雪男伝説だ。主人公はイェティ捜索隊の一員で、ヒマラヤの山中でその足跡を見つけるのだが、捕まえれば見世物にされるだけ。なんとか逃がそうと密かに足跡を消す彼女の姿には、神秘的な存在に尊厳を与えようというケイトの想いが滲み出ているんじゃないだろうか。

 そんなダーク・ファンタジーの数々とは対照的に、終盤に収められたタイトルトラックには、たっぷりのユーモアが込められている。ここで登場するのは、彼女のたっての希望で起用された、俳優のスティーヴン・フライ。北極圏で暮らす民族の言語には雪を表す言葉が50もあるという説に因んで、〈ジョゼフ・ユピック教授〉なるキャラクター(〈Yupik〉はシベリアやアラスカで暮らす先住民族を指す)になり切ったスティーヴンは、雪にまつわる50の英単語/フレーズを、威厳に満ちた声で読み上げていくのだ。なのに背景で鳴っているのが、うっすらトロピカルなリズムだというギャップも面白いが、途中から〈溶けゆく白鳥〉とか〈メレンゲの頂き〉とかバカバカしい造語が飛び出して思いがけない笑いを誘い、50個目にようやく〈Snow〉に行き着くのである。

 そこでアルバムは幕を閉じるのかと思いきや、7曲目に、雪を示唆しない唯一の曲「Among Angels」が控えていた。それどころか場違いな〈summer〉という言葉が織り込まれていたりもするが、再びダウンテンポに返ってピアノ伴奏の形をとり、タイトルトラックで弾けた気分をキリリと引き締めるのだ。誰もが見えない天使みたいな存在に守られているのだと諭すケイトの声を聴いているうちに、いつの間にか雪が降り止んでいた――そんな趣のエンディングを受けて、曲が終わったあとも数十秒間じっと静寂に耳を傾けていたくなる。
(新谷洋子)


【関連サイト】
Kate Bush
Kate Bush "50 Words For Snow"(CD)
『雪のための50の言葉』収録曲
01.Snowflake/02.Lake Tahoe/03.Misty/04.Wild Man/05.Snowed in at Wheeler Street/06.50 Words for Snow/07.Among Angels

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