音楽 POP/ROCK

ジャニス・ジョプリン 『パール』

2011.09.01
ジャニス・ジョプリン
『パール』

1971年発表

Janis-Joplin
 〈『パール』はジャニス・ジョプリンの遺作/ジャニスは1970年10月4日、LAのホテルで急死。『パール』のレコーディング中のことであった/死因はドラッグの過剰摂取/『パール』は翌年にリリースされ、全米アルバム・チャート9週連続1位を獲得/タイトルの『パール』とはジャニスの愛称であり、本人もお気に入りだったらしい〉......と、まずは客観的なデータをザッと並べておく。僕は遺作というものが実はあまり好きではない。「死」という事実が背景に加わることによって、必要以上に作品を高く評価しなければならない奇妙なムードが生まれていることが多いからだ。しかし、そんな僕でも『パール』は、何か特別な想いを抱くことなしには聴けない。とても好きだ。このアルバムでのジャニスの歌は、本当に美しい。

 ジャニスはテキサス州ポート・アーサーで生まれ育ち、大学を退学した後、サンフランシスコでシンガーとしてのキャリアをスタートした。やがてビッグ・ブラザー&ホールディング・カンパニーへ参加。このバンドは1967年のモントレー・ポップ・フェスティバルへの出演によって注目を集め、1968年にリリースしたライヴ・アルバム『チープ・スリル』は、全米アルバム・チャートの1位に輝いた。1969年、ジャニスはコズミック・ブルース・バンドを結成し、初のソロ名義作品『コズミック・ブルースを歌う』をリリース。同年にはウッドストック・フェスティバルに出演し、彼女の人気と評価はいよいよ決定的なものとなった。『パール』は、そんな彼女の勢いをさらに加速させる1枚となるはずであった。

 コズミック・ブルース・バンドは早々に解散へと至り、ジャニスは新しいバンド、フル・ティルト・ブギーを結成。彼らと共に『パール』のレコーディングは行われた。本作のジャニスの歌は、文句なしに素晴らしい。ビートを絶妙に乗りこなしながら、野生馬のような逞しい躍動感を高鳴らせる「ジャニスの祈り」。清らかな歌声が天に吸い込まれるかのような勢いで飛翔する「クライ・ベイビー」。とにかく切なく、甘く、優しい情感に溢れている「寂しく待つ私」......冒頭の3曲を聴いただけで、心は完全に彼女の歌声に奪われてしまう。そんな本作の中でも特に人気が高いのが「ミー・アンド・ボビー・マギー」だ。

 「ミー・アンド・ボビー・マギー」はシングル・カットされ、全米チャート1位に輝いた。クリス・クリストファーソンのカヴァーだが、「ジャニスの歌」として認識している人の方が多いだろう。この曲はロードムービーの趣きを帯びている。旅先で出会った「わたし」と「ボビー」は恋に落ちて旅を続け、やがて別れてそれぞれの場所へと向かう。歌詞はそんな物語を映し出す。ジャニスが歌う「ミー・アンド・ボビー・マギー」で、何よりも鮮やかに「わたし」の感情を伝えるのは、終盤の《ラララララ〜》という部分だ。歌詞の前半では《Freedom's just another word for nothing left to lose/自由とは失うものが何もないということ》というフレーズが出てくる。「わたし」は自由を愛して止まない人物。そして、「ボビー」の自由を奪ったりもしない。しかし、「ボビー」と別れた時、「わたし」に悔いはなかったのか? そして自由を感じることは出来たのか? 「ボビー」と別れた後の感情については言葉では綴られていないが、ジャニスの《ラララララ〜》だけで「わたし」が何を思ったかが伝わってくる。「わたし」が抱いたのは「ボビーを追いかけてよりを戻したい」という未練/「別れは仕方がないことだった」という潔い諦念、そのどちらとも言い切れないものだったのだと思う。その両方を複雑に行き来し続ける、何とも形にならない感情だったのだろう。こんな気持ちは言葉では上手く表せない。しかし、ジャニスの《ラララララ〜》だけで全てが伝わってくる。魔法のような表現力だ。

 「ミー・アンド・ボビー・マギー」を聴くと、必ず思い出す漫画がある。しりあがり寿の「はたちマエ:1 若者の海パン」だ。この作品を収録している単行本『夜明ケ』の巻末には「初出 1978年8月 多摩美術大学漫画研究会『タンマVol.2』」と書かれている。しりあがり寿が、多摩美の学生の時に描いた作品なのであろう。内容は実に他愛ない。サークルの仲間と海水浴に行く前夜、期待に胸を膨らませた主人公は海水パンツを穿いたままで眠る。しかし、翌朝目覚めるとオネショをしてしまっていた! 小便まみれの海水パンツで出かけるわけにもいかず、行くのを諦めるーーというストーリーだ。この主人公がラジカセで音楽を聴きながら「おージャニス なんで死んじゃったんだよー」と言う場面が出てくる。ジャニスのどの曲を聴いているかは明言されていないが、絵をよく眺めるとスピーカーから《♪ミー アンド ボビー マギー ラララー》という文字が飛び出している。海水浴に行くのを諦め、「ジャニスー!」とラジカセを抱き締めるエンディングのコマでも、スピーカーからは《♪ラララー》という文字が溢れ出ているので、「ミー・アンド・ボビー・マギー」を聴いているのだろう。主人公は貧乏学生らしく、暮らしているのは薄汚い畳部屋のアパートなのだが、そんな風景に「ミー・アンド・ボビー・マギー」は不思議とふさわしく似合っている......とか言うと熱心なジャニス・ファンに怒られるのだろうか。しかし、日本の冴えない青年の心情もありのままに受け止めてくれるような深い優しさを、ジャニスの歌は紛れもなく持っている。恥ずかしながら学生時代に何度もジャニスの歌に慰められた僕には断言出来る。
(田中大)

【関連サイト】
ジャニス・ジョプリン
ジャニス・ジョプリン『パール』(CD)
『パール』収録曲
01. ジャニスの祈り/02. クライ・ベイビー/03. 寂しく待つ私/04. ハーフ・ムーン/05. 生きながらブルースに葬られ/06. マイ・ベイビー/07. ミー・アンド・ボビー・マギー/08. ベンツが欲しい/09. トラスト・ミー/10. 愛は生きているうちに

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