音楽 POP/ROCK

エール 『ムーン・サファリ』

2024.04.19
エール
『ムーン・サファリ』
1998年作品


AIR j1
 エールの『ムーン・サファリ』の全編再現ライヴが素晴らしいらしい。
 『ムーン・サファリ』はご存知、ニコラ・ゴダンとジャン=ブノワ・ダンケルのフレンチ・デュオが1998年に送り出し、昨年発売25周年を迎えたデビュー・アルバムだ。ふたりは6作目にあたる『月世界旅行』(2012年/ジョルジュ・メリエス監督のサイレントSF映画のカラー版のために制作したサントラを再構成している)を最後に事実上活動を休止し、近年は各自ソロでの作品作りに忙しくしていたのだが、この名盤のアニバーサリーを機にエンジンをかけ直し。昨年初めにまずはアナログの再発盤を発売したのち、アルバム再現ツアーをヨーロッパで2024年2〜3月に開催する旨を発表し、あっと言う間にチケットを売り切ったのである。しかも始まってみると絶賛の嵐で、動画サイトに上がっている映像を幾つかチェックしてみて合点が行った。確かにこれは観たい。今回のツアーのために彼らは、シンプルな白い箱のようなセットを用意。衣装も白で揃えたふたりはドラマーを従えて、箱の内側に投影された映像に包まれるようにして演奏する。まるでタイムカプセルのような空間の中に完結した建築的デザインが実にスタイリッシュで、回顧企画でありながらフューチャリスティックでもあり、要するに、非常にエールらしいのである。

 そんなわけで、本邦でも大人気を誇っていたアーティストだけに来日もあるのではないかとニュースを待ってはいたのだが(そういえば毎年この季節になると彼らの「Cherry Blossom Girl」が聴きたくなるものだ)、追加された公演は今のところ北米だけ。アジアに接近する気配がないので、取り急ぎアルバムそのものを振り返っておきたいと思う。

 元々ヴェルサイユ出身、学生時代に出会って同じバンドでプレイしていたニコラ(建築専攻)とジャン=ブノワ(天体物理学専攻)は、ニコラのソロ・プロジェクトの延長としてエール(AIRは「Amour/愛、Imagination/想像力、Rêve/夢」の略だとか)をスタート。共にマルチ・インストゥルメンタリストで、『ムーン・サファリ』のレコーディングに際しては、多種多様な鍵盤――ローズ、ウーリッツァー、クラビネット、ピアノ、シンセ、メロトロン、ムーグほか――を始めとするほぼ全ての楽器をふたりで演奏し、加工し尽くしたどちらのものとも分からないヴォーカルをサウンド・テクスチュアに溶かし込み、プロデュースも自ら行なって全10曲を作り上げた。それは、〈月でサファリ〉というタイトルに相応しいドリーミーに浮遊するアンビエント・エレクトロ・ポップであり、シンセティックさと生々しい艶めかしさを併せ持つ非日常空間がそこに封じ込められている。

 そう、イントロと呼ぶには長すぎる7分超の「La femme d'argent」で、エドウィン・スターの曲「Runnin'」(1974年)からサンプリングしたレイジーなブレイクビートに乗ってゆっくりとウォームアップすると、そんなエール節の象徴たるお馴染みの『Sexy Boy』が聞こえてくる。ムーグのうねりにアンドロジナスな声が絡み、〈sexy boy〉という言葉が幾度も繰り返され耳に刻まれるのだが、ヴァースのフランス語詞はほとんど聞き取れない。そこに綴られているのは、美しく理想的な男性への憧れ。「Sexy Boy」の正体は、(この曲をカヴァーしたことがある)フランツ・フェルディナンドの「Michael」を大きく先行した、ヘテロセクシャル男性によるホモエロティック・アンセムだったのである。

 他方で、これまた性別を判別できないくらいにヴォーカルを加工した「Kelly Watch the Stars」では、オリジナルのTVドラマ版『チャーリーズ・エンジェル』の主役のひとり、ケリー・ギャレットを演じたジャクリーン・スミスをオマージュ。オマージュと言えば、〈僕のベイビー・ブルーは空に浮かぶ新しい星〉と歌って死者を弔っているかのような「New Star in the Sky(Chanson Pour Solal)」は、メンバーに多大な影響を及ぼしたジャズ・ピアノと映画音楽の大御所マーシャル・ソラールに捧げられ、「Remember」では彼らを含めて後続のアーティストたちが敬愛するフランスの電子音楽のパイオニア、故ジャン=ジャック・ペリーを共作者に迎えている。

 こうしたレジェンドたちの名前に混じって、当時は素人だったシンガーを2曲で起用するという、ふたりのフラットな感覚も面白い。フォークトロニカとソフトロックの中間にあるバラード「All I Need」と「You Make It Easy」で歌声を披露するのは、たまたま近所に住んでいて知り合ったアメリカ人のベス・ハーシュだ。また、ストリングスを盛ったソウルフルな「Talisman」や、チューバの音がリードするシンフォニックな「Ce Matin-Là」といったシネマティックなインスト曲は、のちに彼らがデュオとして、或いはソロ・アーティストとして手掛ける、映画音楽の世界を指し示していると言えるのだろう。

 最後に、エールと『ムーン・サファリ』について触れておくべきもうひとつの重要な点がある。今でこそインディロックだろうとダンスポップだろうとフランス人の名前を英米のチャートや音楽賞で目にすることは珍しくないが、まさにその先鞭をつけたのが彼らと、同世代のフレンチ・ハウス系のアーティストたちだったという事実だ。しかもエールの場合はムーヴメントに属しておらず、ダフト・パンクやカシアスといった面々と一定の接点はあるものの(ヴォコーダーの多用、アナログ・シンセ使い......)踊らせることを主眼とせず、あくまでメンバーの顔が見えるバンドとして、音楽ファンに受け止められた。それにダウンテンポなサウンド志向は、地元ではなく英国で鳴っていたトリップホップやラウンジポップと呼応するもの。そのせいか、チャート・ポジションは国外のほうが高く、本作の最高位はフランスでの21位に対し、例えば英国では6位。世界で200万枚に達したセールスの3分の1近くが英国で売れている。

 それでいてフランスらしさにおいては、『ムーン・サファリ』でのエールはフレンチ・ハウス勢に遥かに勝っていた。シックで色気があって洗練されていて。それは正確には、我々外国人が思うところのフランスらしさなのかもしれないが、本人たちにも多少自覚的なところがあったのではないかと思う。アメリカ人アーティストのマイク・ミルズが描いたジャケットをよくよく見ると、バンド名の脇に小さくわざわざ〈FRENCH BAND〉と添えられているのだから。

 ちなみにあれはいつだったか、筆者がインタヴューした際に彼らが素敵なスーツを着ていたので、「どこのスーツですか?」と訊ねたら、ひとりはディオール オム、もうひとりはサンローランだったと記憶している。もちろんフレンチ・ブランドだ。
(新谷洋子)


【関連サイト】
AIRfrenchbandofficial
Air "Moon Safari"(CD)
『ムーン・サファリ』収録曲
1. La femme d'argent/2. Sexy Boy/3. All I Need/4. Kelly Watch the Stars/5. Talisman/6. Remember/7. You Make It Easy/8. Ce matin là/9. New Star in the Sky/10. Le voyage de Pénélope

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