音楽 POP/ROCK

アニー・レノックス 『ディーバ』

2024.10.26
アニー・レノックス
『ディーバ』

1992年作品


annie lennox j1
 ポップ・ミュージック史を彩った男女デュオたちを振り返ってみると、ソニー&シェールにアイク&ティナ・ターナーにキャプテン&テニールなどなど、かつては男性がメイン・ソングライター兼プロデューサーで、女性はシンガーという組み合わせが定型だった。それゆえに、マスターマインドと見做される男性ばかりが音楽的評価を得ていたと言っても過言じゃない。ユーリズミックスのアニー・レノックスも例外ではなく、ひとりのミュージシャンとして彼女がしかるべき評価を得るには、37歳だった1992年に発表したソロ・デビュー・アルバム『ディーバ(DIVA)』(全英チャート最高1位/全米23位)を待たなければならなかったように思う。

 スコットランドのアバディーン出身、ロンドンの王立音楽院でピアノやフルートを学ぶも、3年生の時に中退。そのままパンク・ムーヴメントの最中のロンドンに留まってバンド活動に打ち込み、ザ・ツーリストというバンドに一緒に在籍していたギタリストのデイヴ・スチュワートとユーリズミックスを結成したのが、1980年のことだ。そして1983年発表のセカンド・アルバム『Sweet Dreams(Are Made of This)』から表題曲を筆頭に数々のヒットが誕生し、地元はもちろん、第二次ブリティッシュ・インヴェイジョンの波に乗って米国でも大ブレイクを果たしたことは、繰り返すまでもないだろう。

 そんなふたりは、初期はクールなシンセポップを志向し、4作目『Be Yourself Tonight』辺りからはよりソウルフルなバンド・スタイルに移行するなど音楽性を変えつつ、1989年までに実に8枚のアルバムを発表しているが、アニーの産休を機に活動を休止。彼女は間もなく独自の曲作りをスタートする。ユーリズミックスでも常にソングライティングに携わっていたアニーだが、ここにきて初めて全曲の作詞作曲を独りで手掛けて、トレヴァー・ホーンのアシスタントだったスティーヴン・リプソンをプロデューサーに起用。タックヘッドのキース・ルブラン(ドラムス)とダグ・ウィンブッシュ(べース)、ジェスロ・タルのピーター・ジョン・ヴェテッシ(キーボード)、元ジャパンのスティーヴ・ジャンセン(プログラミング)、或いは鈴木賢司(ギター)といった国内外の辣腕ミュージシャンを集めて、レコーディングを行なう。そして当時の最先端のレコーディング技術を駆使して完成させたのが、クラシック音楽に辿れるアニーの出自を映したオーケストラルなスケール感や、当時流行していたグラウンド・ビートのグルーヴ、ゴスペルの重みに裏打ちされた、ソウルフル極まりないポップ・アルバム。ゆったりとしたテンポが威厳に満ちたヴォーカルを引き立てる、ユーリズミックスのそれとは一線を画した作風を打ち出すことになる。収録曲のひとつ「The Gift」には共作者として同じスコットランド出身のバンド、ザ・ブルー・ナイルを迎えているが(アニーは1995年発表のカヴァー集『メデューサ』で彼らの名曲「The Downtown Lights」を取り上げている)、本作の洗練性や完成度は、いわゆる〈ソフィスティ・ポップ〉の代表格とされる、彼らの名盤の数々に通ずるのではないだろうか?

 『ディーバ』という女性形のタイトルもやはり、ソロ作品でなければ選び得なかった言葉。そもそもポップ・ミュージック界において〈ディーバ〉は100%ポジティヴな言葉ではなく、形容詞として使われる際にはしばしば、現実から切り離され、身勝手に振る舞う女性スーパースターを指し、少なくともアーティストが自らをディーバと呼ぶことは、自嘲的なニュアンスを伴わない限り、まずない。にも関わらずアルバムタイトルに選んだのは、本作はほかでもなく、グラマラスなイメージの裏側にある生身の女性としての葛藤をさらけ出すアルバムだったからだ。確かに、ショートヘアとメンズライクなファッションがトレードマークだったアニーはどこかキャラクターを演じているようにも見えたし、ユーリズミックスの曲は、時にポエティックで、時にアンセミックであっても、殊更パーソナルな印象を与えるものではなく、だからこそソロ・アーティストとしての第一声である先行シングル「Why」で〈Do you know how I feel?(私の気持ちが分かる?)〉と問いかけたのだろう。

 そう、「Why」での彼女は破綻しつつある恋愛関係を前にして後悔に苛まれ、自分を理解してもらえないフラストレーションを募らせていて、続く「Walking On Broken Glass」では自分の元を去った恋人に必死にすがりつき、外面を取り繕うことなく取り乱す女性の姿を突き付ける。冬にまつわるイメージをちりばめた「Cold」もまた、与えるだけで報われることのないいびつな関係から抜け出せず、凍える心を震わせているバラード。そして「Money Can't Buy It」はまさにタイトル通りにこう語りかける、幸せはお金では買えない、何よりも大切なのは愛なのだと。

 他方、1980年代末に一度流産を経験したのち1990年に長女ローラを出産したアニーは、アラビックなテイストの「Primitive」で生と死のサイクルをなぞり、命の儚さと尊さに想いを馳せ、その娘に捧げた「Precious」では〈あなたがやって来るまで迷子になっていた〉と流産の衝撃を綴って、絶望していた自分を救ってくれた娘に感謝を捧げている。翻って、「Legend in My Living Room」が描いているのは自身の若かりし頃。大きな夢を抱いて17歳の時にロンドンにやって来た彼女が直面した厳しいリアリティを回想し、「Litle Bird」はそれから20年後、ソロ・アーティストとして新たな一歩を踏み出すにあたっての逡巡を浮き彫りにしている。空を自由に飛ぶ鳥に憧れながらも、アニーは大きな不安を抱いていたと察せられるが、それが全くの杞憂だったことは歴史が証明済み。結果的に『ディーバ』は英国内(120万枚)でも米国(200万枚)でもユーリズミックスのどのアルバムにも勝るセールスを達成し、彼女にブリット賞国内部門のブリティッシュ・アルバム賞と最優秀女性ソロ・アーティスト賞をもたらした。

 以来、様々な社会活動にも情熱を注いでいるせいか寡作な人でありながら、国民的アーティストとして愛され続けているアニーは、ちょっとヒネリの効いたエンディングを『ディーバ』に与えていた。アルバムのラストソングはレトロでシアトリカルなジャズ仕立ての「Keep Young and Beautiful」。ユーモラスな歌詞共々他の曲と趣を異にしており、〈愛されたいならずっと若さと美しさを保たなくては!〉とおどけて、年齢や外見で女性の価値が決まるショウビズ界の歪みを指摘している。まさにそんな偏見をぶち壊したのが彼女であり、同じくデュオ時代を凌ぐレベルのスーパースターとなって、70代まで活動を続けることになるティナやシェールだったのだ。
(新谷洋子)


【関連サイト】
『ディーバ』収録曲
1. Why/2. Walking on Broken Glass/3. Precious/4. Legend in My Room/5. Cold/6. Money Can't Buy It/7. Little Bird/8. Primitive/9. Stay By Me/10. The Gift/11. Keep Young and Beautiful

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