音楽 POP/ROCK

リンダ・マーテル 『Color Me Country』

2025.01.27
リンダ・マーテル
『Color Me Country』
1970年作品


linda martell j1
 2025年2月2日に授賞式を控える第67回グラミー賞で最優秀アルバムを始め本年最多のノミネーションを誇っているのは、2024年3月にリリースされた最新作『カウボーイ・カーター』で世界をあっと言わせたビヨンセだ。アメリカの南部テキサス州出身の彼女はご存知のように、自分のルーツの一部分と認識しているカントリー音楽に目を向けて『カウボーイ・カーター』を制作。「これはカントリー・アルバムではなくてビヨンセのアルバム」と本人は強調しており、あくまで独自の表現に落とし込んではいるが、彼女がこのような作品を作ったことで、昨今人気が増す一方で他のジャンルとのクロスオーバー作品が増えている中、カントリー音楽の存在感が一層強まった感がある。

 そんなアルバムでビヨンセは3人のカントリー・レジェンドをゲストに招いてオマージュを捧げた。このうちドリー・パートンとウィリー・ネルソンについては説明するまでもないとして、では3人目のリンダ・マーテルとは何者なのか? 『カウボーイ・カーター』がリリースされた当時、海外の様々なメディアがまさに〈Who is Linda Martell?〉と題した記事を展開し、筆者もそれらを通してこの人の正体を知ったのだが、ビヨンセがリンダを選んだ理由は単純明快だった。彼女こそは、カントリー界で初めて成功を手にしたブラック女性なのである。

 現在83歳のリンダ(本名セルマ・バイネム)はサウスカロライナ州出身、幼い頃から教会の聖歌隊で歌う一方で父が好きだったカントリー音楽に親しんで育ち、当初はR&Bグループで活動していた。しかし、カントリー・ソングを歌う彼女のパフォーマンスを目にしたのちのマネージャーに勧められて転向。ナッシュヴィルに移り住んでカントリー・シンガーとして再スタートを切り、1969年にブラック女性では初めてグランド・オール・オープリー(1925年から続くナッシュヴィル発の名物ラジオ番組で、カントリー音楽のライヴ・パフォーマンスを放映。この番組への出演が叶えばシーンに認められたことを意味する)に出演。同年ファンク/ソウル・バンドのザ・ウィンストンズのカヴァー曲「Color Him Father」で、プランテーションなるレーベルからデビューを果たす。つまり、ブラック・アーティストが綴ったファンキーなソウル・チューンをペダルスティール・ギターで彩って、カントリーにアレンジし直して歌ったのだ。

 続いてリンダは、ファースト・アルバム『Color Me Country』を1970年に発表。大半の曲を提供したのはルイジアナ州出身の女性ソングライターのコンビ、マイラ・スミスとマーガレット・ルイスだった。マイラのほうはプロデューサー兼エンジニアでもあり、スタジオを所有し独立系レーベルを経営するなど総合的に音楽に関わった、リンダに劣らぬ先駆的女性だったようだ。そんなふたりに加えてベン・ピーターズやフレッド・バーチといったヒットメイカーが綴った、カントリーの王道を行くストーリー仕立ての曲の数々にリンダは、ゴスペルとR&Bで鍛えた歌声にヨーデルも交えて命を吹き込んでいる。田舎から大都市にやってきた若い女性が男に騙され、想いを断ち切れずに泣き暮らしている「Bad Case of the Blues」では深い倦怠感を、「San Francisco is a Lonely Town」(これも田舎から大都市に移り住んだカップルのストーリー。男性は出歩いて遊んでいるばかりで孤独に苛まれた女性は帰郷することに......)ではヴィブラートを効かせて切なさを強調。これまたハートブレイクと向き合う「Then I'll Be Over You」では自分をそっと癒すようなハイトーンの柔らかな声を発し、結婚の意義を生活感論じる「The Wedding Cake」では、満たされた気持ちを伸びやかで朗々とした歌に投影する。さらには、パートナーに酷い仕打ちを受けた女性を主人公に据えた「You're Crying Boy, Crying」で醸す蔑みといい、貧困を愛で乗り越えた夫婦を描く「There Never Was A Time」に溢れる慈しみといい、とにかく曲ごとに全く異なるキャラクターを演じ、全く異なるシチュエーションに身を置いて、シンプルな言葉から最大限にヴィヴィッドな情景を引き出すのである。

 「Color Him Father」もまた興味深い設定で、父を戦争で亡くした子ども(ザ・ウィンストンズの原曲も1969年に発表されたのでベトナム戦争が背景にあるのだろう)が母の再婚相手の素晴らしさを讃えるという内容で、リンダは子どものピュアな気持ちを代弁。ここで言う〈color〉は色とは無関係で、〈受け止める〉とか〈認識する〉といった意味を持ち、〈彼を本当の父と呼ぼう〉と訳するべきなのかもしれない。その〈color〉をリンダはアルバムタイトルにも用いており、〈私もカントリーなんです〉みたいなニュアンスを込めたと解釈すべきなのか? とにかく、カントリー界ではマイノリティであることを強く意識したタイトルだと言えるのだろう。

 そんな「Color Him Father」は全米ホット・カントリー・ソングス・チャートで22位まで上昇し(同チャートにおけるブラック女性としての最高記録だったが、2024年にビヨンセが『Texas Hold 'Em』を1位に送り込んで記録を更新した)、ほかにも「Bad Case of the Blues」などがヒットし、アルバムはトップ・カントリー・アルバム・チャートの40位に入って、順調なスタートを切ったリンダ。ちょうど史上初のブラック・カントリー・スターとされているチャーリー・プライドも大活躍していた時期とあって期待を背負っていたようだが、『Color Me Country』は彼女にとって最初で最後のアルバムとなる。その理由はさもありなん、だ。リンダは奴隷制度を想起させるレーベル名について、本作のプロデューサーでもあるレーベル・オーナーのシェルビー・シングルトンに抗議したものの彼は耳を貸さず、逆にリンダのキャリアを妨害。ほかにも業界内で、或いはカントリー・ファンから差別的な扱いを受けた彼女は果敢に活動を続けようとしたのだが、最後には疲弊し、1974年にはナッシュヴィルから去ってしまうのである。

 以後アメリカ各地を転々として時折小さなライヴハウスで歌いつつも、レコード店を経営したりスクールバスの運転手をしたりして生活していたそうで、音楽界では忘れ去られていた彼女だが、2020年になってCMT賞(カントリー専門のテレビ局が主催する音楽賞。ファンの投票で決まる)でカントリー界の多様化に貢献した人を讃えるイコール・プレイ賞を受賞。次いであのサン・レコードが2022年に本作を再発したこともあって徐々に関心が高まり、『カウボーイ・カーター』への客演がさらなる再評価をもたらしたわけだ。同作でのリンダは「Spaghettii」と「The Linda Martell Show」の2曲で、ジャンルという区分けに疑問を呈するスポークンワードを聞かせており、後者ではテレビ番組の司会者に扮して盛大な拍手を浴びている。そう、本来ならリンダは大舞台で拍手喝采を浴びるべき存在なのだと、ビヨンセはここで我々に訴えかけているように感じたのは筆者だけではないと思う。

 ちなみにリンダやチャーリーのあとを継ぐアーティストは長い間現れなかったのだが、ここ10年ほどの間に、セカンド・アルバム『Experiment』で全米ナンバーワンを獲得したケイン・ブラウンやミッキー・ガイトンを始め幾人もの歌い手が登場。カントリー系チャートの上位を賑わせている。リンダと「Spaghettii」で共演している、やはりブラック・カントリー・シンガーのシャブージーは、2024年後半にシングル「A Bar Song(Tipsy)」で史上最長タイ記録の19週間にわたって全米1位の座をキープした時の人。まるで彼の大ブレイクを予感していたかのようにリンダとチームアップさせて、歴史のふたつの点をつないだビヨンセは、やっぱり大した人だ。
(新谷洋子)

【関連サイト】
『Color Me Country』収録曲
1.Bad Case of the Blues/2.San Francisco Is a Lonely Town/3.The Wedding Cake/4.Tender Leaves of Love/5.I Almost Called Your Name/6.Color Him Father/7.There Never Was a Time/8.You're Crying Boy, Crying/9.Old Letter Song/10.Then I'll Be Over You/11.Before the Next Teardrop Falls

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