
サム・フェンダー 『Seventeen Going Under』
2025.03.26
サム・フェンダー
『Seventeen Going Under』
英国と日本の音楽シーンを知っている範囲内で比べてみた時に如実な差を感じるのは、地方性の有無である。英国にはそれが間違いなくあり、日本の場合は希薄なように感じる。ロンドンが音楽ビジネスの中心地であることは間違いのだが、地方都市出身の英国人アーティストには、どれだけ大きな成功を収めていようと故郷に留まり、地元コミュニティと地元の文化への深い愛情、帰属意識、誇りを抱いて、作品に反映させる人が少なくない。そして方言や独特の言い回しを歌詞に用いたり、〈中央〉への複雑な眼差しを反映させたりもする。6年前にデビューし、2枚のプラチナ・アルバムを経て先頃発表したサード『People Watching』で3枚連続の全英ナンバーワンを記録し、名実ともに英国を代表するシンガー・ソングライターへと成長したサム・フェンダーもその一人。〈ジョーディー・スプリングスティーン〉という異名を取る彼はイングランド北東部ニューキャッスルの隣に位置するノース・シールズ(「Geordie」はニューキャッスル周辺の出身者を指す)の労働者階級の家庭に生まれ、確か現在もこの町で暮らしているはずだ。当然ながら曲のインスピレーションは専ら故郷での体験から得ているし、ギタリストのディーン・トンプソン以下一緒にプレイするバンドのメンバーの多くも少年時代からの友人。最初の2枚のアルバムは下積み時代から彼を支援してきた地元の先輩ミュージシャン、ブラムウェル・ブロンテのプロデュースのもとに、やはりノース・シールズのスタジオでレコーディングされた。とにかく地元愛のレベルは尋常じゃない。
このうちファースト『Hypersonic Missiles』(2019年)ではサムが自分の仲間や町で出会った人たちを巡るストーリーが綴られていたのだが、ブリット賞の最優秀ブリティッシュ・アルバム賞とマーキュリー・ミュージック・プライズの候補に挙がるなどして絶賛を浴びたこのセカンド『Seventeen Going Under』(2021年)は一転して、非常に内省的な作品となった。そう、ちょうどパンデミックに伴うロックダウン中に曲作りを行ない、長い時間を独りで過ごしていたことから彼の視線は自分の内面に向いたといい、引き続きノース・シールズを舞台に、今度は自身の生い立ちを振り返っている。
その内容に触れる前にまずは時代背景に少し触れておきたい。英国では2010年、サムが16歳の時に保守党が政権に就いたわけだが、保守党政権は福祉を切り詰め、地方自治体への補助金を削減する緊縮財政を敷き、ノース・シールズのような地方都市は甚大なダメージを受けたという。そして貧富の差は拡大し、社会の分断が進んで、EU離脱の賛否を問う2016年の国民投票では僅差で離脱が決まったことはご存知の通り。そんな状況下で少年から大人への移行期を過ごした彼の成長の痛みが、ブルースに加えてザ・ウォーターボーイズからダニー・ハサウェイまで幅広いアーティストの影響を消化した、ソウルフルなギターロックに刻まれている。
例えば1曲目の表題曲が描いているのは、17歳の時の自画像だ。病気で働くことができなくなったにもかかわらず公的援助を得られずにいた母と同居し、家計を支えるべくドラッグを売ることを考えるほど追い詰められていたサムは、無力感に苛まれ弱きを助けない政治に絶望している。続く「Getting Started」では18歳になって、母の苦しみを受け止めつつ一人の若者としてなんとか人生を楽しもうとしているのだが、所謂ヤングケアラーとして社会の不公平さを突き付けられた彼は、3曲目の「Aye」で歴史を紐解き、搾取する者と搾取される者の固定化された力関係と、暴走する権力の破壊力をあぶり出すのだ。
ここまでテンションを緩めることなく序盤を走り抜けると、曲調はややスローダウンするものの、内容が軽くなるわけでは決してない。政治不信にフォーカスした「Long Way Off」は、右派も左派も信じられなくなった人が不確かな情報に流されて自分に不利な選択をしてしまうことを嘆き、アメリカーナに接近する「Spit of You」ではミュージシャンでもある父に語りかけて、母とのそれに劣らず複雑な父子の関係を示唆する。コミュニケーションにてこずりながら、長所も短所も父から受け継いでいることを自覚するサムが(「spit of you」は「瓜二つ」を意味する)、祖母の死を受けて悲しみに暮れる父にそっと寄り添う姿は深い愛情を物語り、名優スティーヴン・グレアムが父を演じるMVの出来も秀逸だった。
そして後半の5曲をざっくりと総括するならば、〈メンタルヘルスにまつわる考察〉といったところだろうか。自己否定的な傾向にある彼は自分を呑み込もうとするネガティヴィティに必死に抗い、特にラスト2曲ーー「Paradigms」と「The Dying Light」ーーではサムが注目を集めるきっかけとなった初期のシングル「Dead Boys」のテーマに立ち返る。ずばり、英国では大きな社会問題となっている若年男性の自殺だ。彼の周辺も例外ではなく、「Dead Boys」は友人の自殺をきっかけに生まれたのだが、その後も知人が相次いで自ら命を絶ったことから、「Paradigms」で改めて、自分の弱さを受け入れられず、悩みを内に抱え込んでしまうマスキュリニティの弊害を指摘。劣等感や絶望感を抱えて独りで苦しむ人たちに共感を寄せ、「Dead Boys」のダイレクトな続編とされる「The Dying Light」では亡くなった人たちを追悼すると共に、成功を手にしてなお自分も助けを必要としていること、仲間に支えられて闇を遠ざけようとしていることを歌うのだ。〈母、父、友達のみんな、そして朝を迎えることができなかった全ての人たち〉のためにも、自分は諦めるわけにはいかないのだと。
実際サムは本作の発売から1年程経った頃、メンタルヘルスの不調を理由にツアーをキャンセルしており、「People Watching」を聴く限り苦悩は解消されてはいない。2023年に政権交代が実現したもののまだ変化を実感するには至っておらず、ここにきてスーパースターになったことに罪悪感を抱く彼は、故郷の人々と同じ目線で世界を眺め続けるべく、環境の変化に折り合いをつけようとしている。こうして言葉で説明すると「Seventeen Going Under」然りでマスアピールを持つ曲の題材とはとても思えないかもしれないが、それを数万人と合唱できるアンセムに転化する能力が、この人を稀有な存在にしているのだ。
『Seventeen Going Under』
2021年作品

このうちファースト『Hypersonic Missiles』(2019年)ではサムが自分の仲間や町で出会った人たちを巡るストーリーが綴られていたのだが、ブリット賞の最優秀ブリティッシュ・アルバム賞とマーキュリー・ミュージック・プライズの候補に挙がるなどして絶賛を浴びたこのセカンド『Seventeen Going Under』(2021年)は一転して、非常に内省的な作品となった。そう、ちょうどパンデミックに伴うロックダウン中に曲作りを行ない、長い時間を独りで過ごしていたことから彼の視線は自分の内面に向いたといい、引き続きノース・シールズを舞台に、今度は自身の生い立ちを振り返っている。
その内容に触れる前にまずは時代背景に少し触れておきたい。英国では2010年、サムが16歳の時に保守党が政権に就いたわけだが、保守党政権は福祉を切り詰め、地方自治体への補助金を削減する緊縮財政を敷き、ノース・シールズのような地方都市は甚大なダメージを受けたという。そして貧富の差は拡大し、社会の分断が進んで、EU離脱の賛否を問う2016年の国民投票では僅差で離脱が決まったことはご存知の通り。そんな状況下で少年から大人への移行期を過ごした彼の成長の痛みが、ブルースに加えてザ・ウォーターボーイズからダニー・ハサウェイまで幅広いアーティストの影響を消化した、ソウルフルなギターロックに刻まれている。
例えば1曲目の表題曲が描いているのは、17歳の時の自画像だ。病気で働くことができなくなったにもかかわらず公的援助を得られずにいた母と同居し、家計を支えるべくドラッグを売ることを考えるほど追い詰められていたサムは、無力感に苛まれ弱きを助けない政治に絶望している。続く「Getting Started」では18歳になって、母の苦しみを受け止めつつ一人の若者としてなんとか人生を楽しもうとしているのだが、所謂ヤングケアラーとして社会の不公平さを突き付けられた彼は、3曲目の「Aye」で歴史を紐解き、搾取する者と搾取される者の固定化された力関係と、暴走する権力の破壊力をあぶり出すのだ。
ここまでテンションを緩めることなく序盤を走り抜けると、曲調はややスローダウンするものの、内容が軽くなるわけでは決してない。政治不信にフォーカスした「Long Way Off」は、右派も左派も信じられなくなった人が不確かな情報に流されて自分に不利な選択をしてしまうことを嘆き、アメリカーナに接近する「Spit of You」ではミュージシャンでもある父に語りかけて、母とのそれに劣らず複雑な父子の関係を示唆する。コミュニケーションにてこずりながら、長所も短所も父から受け継いでいることを自覚するサムが(「spit of you」は「瓜二つ」を意味する)、祖母の死を受けて悲しみに暮れる父にそっと寄り添う姿は深い愛情を物語り、名優スティーヴン・グレアムが父を演じるMVの出来も秀逸だった。
そして後半の5曲をざっくりと総括するならば、〈メンタルヘルスにまつわる考察〉といったところだろうか。自己否定的な傾向にある彼は自分を呑み込もうとするネガティヴィティに必死に抗い、特にラスト2曲ーー「Paradigms」と「The Dying Light」ーーではサムが注目を集めるきっかけとなった初期のシングル「Dead Boys」のテーマに立ち返る。ずばり、英国では大きな社会問題となっている若年男性の自殺だ。彼の周辺も例外ではなく、「Dead Boys」は友人の自殺をきっかけに生まれたのだが、その後も知人が相次いで自ら命を絶ったことから、「Paradigms」で改めて、自分の弱さを受け入れられず、悩みを内に抱え込んでしまうマスキュリニティの弊害を指摘。劣等感や絶望感を抱えて独りで苦しむ人たちに共感を寄せ、「Dead Boys」のダイレクトな続編とされる「The Dying Light」では亡くなった人たちを追悼すると共に、成功を手にしてなお自分も助けを必要としていること、仲間に支えられて闇を遠ざけようとしていることを歌うのだ。〈母、父、友達のみんな、そして朝を迎えることができなかった全ての人たち〉のためにも、自分は諦めるわけにはいかないのだと。
実際サムは本作の発売から1年程経った頃、メンタルヘルスの不調を理由にツアーをキャンセルしており、「People Watching」を聴く限り苦悩は解消されてはいない。2023年に政権交代が実現したもののまだ変化を実感するには至っておらず、ここにきてスーパースターになったことに罪悪感を抱く彼は、故郷の人々と同じ目線で世界を眺め続けるべく、環境の変化に折り合いをつけようとしている。こうして言葉で説明すると「Seventeen Going Under」然りでマスアピールを持つ曲の題材とはとても思えないかもしれないが、それを数万人と合唱できるアンセムに転化する能力が、この人を稀有な存在にしているのだ。
(新谷洋子)
【関連サイト】
『Seventeen Going Under』収録曲
1. Seventeen Going Under/2. Getting Started/3. Aye/4. Get You Down/5. Long Way Off/6. Spit of You/7. Last to Make It Home/8. The Leveller/9. Mantra/10. Paradigms/11. The Dying Light
1. Seventeen Going Under/2. Getting Started/3. Aye/4. Get You Down/5. Long Way Off/6. Spit of You/7. Last to Make It Home/8. The Leveller/9. Mantra/10. Paradigms/11. The Dying Light
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