マニック・ストリート・プリーチャーズ 『ホーリー・バイブル』
2012.01.02
マニック・ストリート・プリーチャーズ
『ホーリー・バイブル』
1994年発表
ブリットポップに刺さった棘。
リリース当時、マニック・ストリート・プリーチャーズの3作目『ホーリー・バイブル』は、そういうアルバムなんだと思う。なぜって、オアシスの『デフィニトリー・メイビー』、ブラーの『パークライフ』、スウェードの『ドッグ・マン・スター』、パルプの『ヒズ・アンド・ハーズ』、プライマル・スクリームの『ギヴ・アウト・バット・ドント・ギヴ・アップ』、ストーン・ ローゼズの『セカンド・カミング』......と、同じ1994年に英国で登場した作品をざっとふり返ってみると、どれも一種の享楽的なセレブレーション気分を湛えていたのに、全編に凄まじい負のエネルギーと閉所恐怖症的な圧迫感を漲らせていた本作だけは、違った。ブリットポップどころか、どの時代、どのムーヴメントに対しても圧倒的な違和感を放ち、20余年のキャリアを通じて様々な趣向のアルバムを作ってきたマニックスの基準に照らしても、実に異質な作品だ。
中でも彼の姿が最もストレートに投影されているのは、〈自分を傷つけて内なる痛みを取り除く〉と歌う「イエス」や、無垢な心を失う前に死にたいと願う「ダイ・イン・サマータイム」、そしてやせ細ってゆく自分の肉体をつぶさに観察して日記をつけているかのような「4st 7lb」だろう。ちなみに「4st 7lb」とは、4ストーン7ポンド=約30キロに相当する重量を表している。拒食症患者の体重がこれ以下に落ちると死に至る危険性があるという、ひとつの目安なのだとか。また、自分自身を題材にしなくてもリッチーの言葉の毒々しいトーンは変わらない。「モーソリアム」と「インテンス・ハミング・オブ・イーヴィル」はダッハウの強制収容所を訪れた時の体験を元にホロコーストについて書いており、「苦痛に関する公文書」は殺人者たちを神格化する風潮を痛烈に批判し、「オブ・ウォーキング・アボーション」ではファシズムと、権力に無抵抗な人々に唾を吐く......という具合に。彼はどの曲にも史実やカルチャーから引用した無数のレファレンスを織り交ぜ、おおよそポップソングで目にすることのない表現を詰め込み、それを誰かが譜割りしてメロディに乗せて歌う羽目になることなど全く無視していたわけだが、作曲担当のジェームス・ディーン・ブラッドフィールド(ヴォーカル/ギター)とショーン・ムーア(ドラムス)は、ポストパンク期のギターロックをひとつの指針に、時に目を背けたくなるようなリッチーの言葉に不遜で挑戦的なアティチュードや、何者にも侵せない静穏な威厳みたいなものを与えながら曲に仕上げ、ある種ミリタリスティックな趣の精緻な演奏で、アルバムに刻んだのである。それはまさに、リッチーへの畏敬の念が鳴らしている音だった。
こんな作品を〈自分にとっての真実〉と位置づけて、ずばり『ホーリー・バイブル(聖書)』と命名したのも、やはりリッチーだったという。1994年8月のアルバム・リリース後、彼はいったん退院してライヴにも幾度か参加したが、ご存知の通り翌年2月に失踪し、未だ行方不明のまま。『ホーリー・バイブル』は必然的にリッチーの「別れの詩」と目されるようになった。露わになった肋骨を数えながら〈足跡を残さないで雪の上を歩きたい/その清らかさを汚さないように〉(「4st 7lb」)と吐露するまでに深く暗い闇を覗きこんだ彼は、どちらにせよ、何もなかったかのようにバンド活動を続けることは出来なかっただろうし、マニックスもこんな〈モンスター〉を完成させてしまった以上、何らかの形で生まれ変わるしかなかっただろう。外の世界を完全に遮断し、野心に燃える若者たちのクリエイティヴな興奮と、何か大きな悲劇が迫っているというぼんやりとした不安感に駆り立てられて作った本作は、それほどに「次が見えない」アルバムだった。得たものの大きさと失ったものの大きさの辻褄を永遠に合わせることができないアルバム、とも呼べるのかもしれない。3年前(2009年)にニッキーにインタヴューした際に、彼は「自分たちの作品はよく聴く方だし、『ホーリー・バイブル』はバンドの最高傑作の1枚だと思っているけれど、あのアルバムだけは聴かないんだ。それだけの心の準備が必要だからね」と苦笑していたものだが、15年の月日さえ癒すことができなかった傷は、多分この先も癒えないだろうし、さらに15年が経ってもニッキーは同じ答えを返すのではないかと思う。
【関連サイト】
マニック・ストリート・プリーチャーズ
マニック・ストリート・プリーチャーズ(CD)
『ホーリー・バイブル』
1994年発表
ブリットポップに刺さった棘。
リリース当時、マニック・ストリート・プリーチャーズの3作目『ホーリー・バイブル』は、そういうアルバムなんだと思う。なぜって、オアシスの『デフィニトリー・メイビー』、ブラーの『パークライフ』、スウェードの『ドッグ・マン・スター』、パルプの『ヒズ・アンド・ハーズ』、プライマル・スクリームの『ギヴ・アウト・バット・ドント・ギヴ・アップ』、ストーン・ ローゼズの『セカンド・カミング』......と、同じ1994年に英国で登場した作品をざっとふり返ってみると、どれも一種の享楽的なセレブレーション気分を湛えていたのに、全編に凄まじい負のエネルギーと閉所恐怖症的な圧迫感を漲らせていた本作だけは、違った。ブリットポップどころか、どの時代、どのムーヴメントに対しても圧倒的な違和感を放ち、20余年のキャリアを通じて様々な趣向のアルバムを作ってきたマニックスの基準に照らしても、実に異質な作品だ。
が、異質なのも無理はない。何しろ当時の彼らは、極めて困難な状況に置かれていたのだから。パンクをルーツに、社会主義・反権威主義的イデオロギーを掲げて80年代の終わりにシーンに登場した彼らは、挑発的な言動で常に世を騒がせていたわけだが、それが次第に自らを追い詰める結果にもなり、熱狂的なファンを獲得し一定の商業的成功を収めていたにもかかわらず、2枚のアルバムを発表した時点で壁に直面。マスコミを利用していたはずが、いつの間にか自分たち自身がフリークショウになっていたーーとでも言うべきだろうか? しかも、1993年末には育ての親たるマネージャーが癌で死去。パラノイアが募る中で精神のバランスを大きく崩し、自傷行為から拒食症や鬱に至るまで様々な心身症を患うようになったのが、ベースのニッキー・ワイアと共に作詞を担当していたリズム・ギタリストのリッチー・ジェームスだった。人間性の暗部にフォーカスした『ホーリー・バイブル』のグロテスクですらある詞の大半は、本作が完成する頃には入院を強いられるまでに症状が悪化した、そんなリッチーが綴ったものだ。
中でも彼の姿が最もストレートに投影されているのは、〈自分を傷つけて内なる痛みを取り除く〉と歌う「イエス」や、無垢な心を失う前に死にたいと願う「ダイ・イン・サマータイム」、そしてやせ細ってゆく自分の肉体をつぶさに観察して日記をつけているかのような「4st 7lb」だろう。ちなみに「4st 7lb」とは、4ストーン7ポンド=約30キロに相当する重量を表している。拒食症患者の体重がこれ以下に落ちると死に至る危険性があるという、ひとつの目安なのだとか。また、自分自身を題材にしなくてもリッチーの言葉の毒々しいトーンは変わらない。「モーソリアム」と「インテンス・ハミング・オブ・イーヴィル」はダッハウの強制収容所を訪れた時の体験を元にホロコーストについて書いており、「苦痛に関する公文書」は殺人者たちを神格化する風潮を痛烈に批判し、「オブ・ウォーキング・アボーション」ではファシズムと、権力に無抵抗な人々に唾を吐く......という具合に。彼はどの曲にも史実やカルチャーから引用した無数のレファレンスを織り交ぜ、おおよそポップソングで目にすることのない表現を詰め込み、それを誰かが譜割りしてメロディに乗せて歌う羽目になることなど全く無視していたわけだが、作曲担当のジェームス・ディーン・ブラッドフィールド(ヴォーカル/ギター)とショーン・ムーア(ドラムス)は、ポストパンク期のギターロックをひとつの指針に、時に目を背けたくなるようなリッチーの言葉に不遜で挑戦的なアティチュードや、何者にも侵せない静穏な威厳みたいなものを与えながら曲に仕上げ、ある種ミリタリスティックな趣の精緻な演奏で、アルバムに刻んだのである。それはまさに、リッチーへの畏敬の念が鳴らしている音だった。
こんな作品を〈自分にとっての真実〉と位置づけて、ずばり『ホーリー・バイブル(聖書)』と命名したのも、やはりリッチーだったという。1994年8月のアルバム・リリース後、彼はいったん退院してライヴにも幾度か参加したが、ご存知の通り翌年2月に失踪し、未だ行方不明のまま。『ホーリー・バイブル』は必然的にリッチーの「別れの詩」と目されるようになった。露わになった肋骨を数えながら〈足跡を残さないで雪の上を歩きたい/その清らかさを汚さないように〉(「4st 7lb」)と吐露するまでに深く暗い闇を覗きこんだ彼は、どちらにせよ、何もなかったかのようにバンド活動を続けることは出来なかっただろうし、マニックスもこんな〈モンスター〉を完成させてしまった以上、何らかの形で生まれ変わるしかなかっただろう。外の世界を完全に遮断し、野心に燃える若者たちのクリエイティヴな興奮と、何か大きな悲劇が迫っているというぼんやりとした不安感に駆り立てられて作った本作は、それほどに「次が見えない」アルバムだった。得たものの大きさと失ったものの大きさの辻褄を永遠に合わせることができないアルバム、とも呼べるのかもしれない。3年前(2009年)にニッキーにインタヴューした際に、彼は「自分たちの作品はよく聴く方だし、『ホーリー・バイブル』はバンドの最高傑作の1枚だと思っているけれど、あのアルバムだけは聴かないんだ。それだけの心の準備が必要だからね」と苦笑していたものだが、15年の月日さえ癒すことができなかった傷は、多分この先も癒えないだろうし、さらに15年が経ってもニッキーは同じ答えを返すのではないかと思う。
(新谷洋子)
【関連サイト】
マニック・ストリート・プリーチャーズ
マニック・ストリート・プリーチャーズ(CD)
『ホーリー・バイブル』収録曲
01. イエス/02. アメリカの真実/03. オブ・ウォーキング・アボーション/04. シー・イズ・サファリング/05. 苦痛に関する公文書/06. リヴォル/07. 4st 7lb(自虐の美)/08. モーソリアム(暗黒の墓碑)/09. ファスター/10. ディス・イズ・イエスタデイ/11. ダイ・イン・サマータイム/12. インテンス・ハミング・オブ・イーヴィル/13. P.C.P
01. イエス/02. アメリカの真実/03. オブ・ウォーキング・アボーション/04. シー・イズ・サファリング/05. 苦痛に関する公文書/06. リヴォル/07. 4st 7lb(自虐の美)/08. モーソリアム(暗黒の墓碑)/09. ファスター/10. ディス・イズ・イエスタデイ/11. ダイ・イン・サマータイム/12. インテンス・ハミング・オブ・イーヴィル/13. P.C.P
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