ブリジット・フォンテーヌ 『ラジオのように』
2012.05.02
ブリジット・フォンテーヌ
『ラジオのように』
1969年作品
小鳥のさえずりにも似た歌声に絡み付くように調和と破綻を繰り返しながら腕利きのジャズ・プレイヤーたちが音を付加していく。現代ポピュラー音楽の魅力とは、いかに多くの要因を混ぜ合わせるかというところにこそあるのだろう、とつくづく思わせる演奏が続いていくアルバムである。
40年以上も前のフランスで発売されたこのアルバム、そしてブリジットというアーティストの魅力は、時を越え、現代の人々も刺激しまくる。1998年にはステレオラブとの共演シングル、そして2001年に発表されたアルバム『Kekeland』では、ソニック・ユースからアーチー・シェップまで含む多彩な顔ぶれを従え、少しも衰えることのないクリエイティヴィティを聴かせ、『ラジオのように』が伝説でも過去でもないことを再確認させてくれたのだった。
主人公のブリジット・フォンテーヌは、1939年6月フランスのブルターニュ地方のモルレーという町に生まれた。幼い頃からファンタジー小説や芝居を好む少女だったという。1957年にソルボンヌ大学に入学するが、彼女が夢中になったのはジャズと演劇で、前衛演劇を志すようになる。と同時にギターを手にクラブでも歌うようになった彼女の特異な個性は際立ち、ジャック・ブレルら大物シャンソン歌手を見出した名プロデューサー(ジャック・カネッティ)に認められ、1966年にレコード・デビューを飾っている。
同じく彼女の才能に魅せられたのが、前衛演劇家ジャック・イジュランで、彼と組んだパフォーマンスやデュエット・アルバムは大衆性とは無縁ながら、一部で熱烈な称賛を浴びることになる。1960年代後半に世界中で爆発したサブ・カルチャーの表現域拡大の流れとも一致したのだろう。そして、それらの作品に積極的な反応を示した一人が、映画『男と女』の大ヒットでスターになっていたピエール・バルーだった。
歌手・俳優・作曲家とマルチ・タレントぶりを見せていた彼が、自身の芸術的な野心を存分に展開するために設立したレコード・レーベルが、日本でも人気の高いサラヴァで、第1弾として1968年にリリースしたのが、アルバム『ブリジット・フォンテーヌは...』だった。シャンソンの伝統を備えながら、シュールな終末感を漂わすアルバムには、すでに既成の世界に収まることのない姿勢が見えている。
さらに創造意欲を燃やす彼女に、最良の共犯者たちが現れる。アート・アンサンブル・オブ・シカゴ(以下AEC)だ。オーネット・コールマン、セシル・テイラー、アルバート・アイラーといった人々が果敢に切り開いたフリー・ジャズを、さらにアグレッシヴな姿勢で追究したこのグループは、1960年代半ばシカゴで結成された。レスター・ボウイ、ロスコー・ミッチェルらが何種類もの楽器を操りながら、時に演劇性も含んだパフォーマンスを展開。ジャズの新時代を牽引した彼らだが、とくに1969年から約2年にわたってヨーロッパに滞在し、十数枚のアルバムを作った時代は充実した頃でもあった。
パリでブリジット、イジュランらが出演した前衛劇の音楽を担当したことから交友を深めた彼らが、自然に引き寄せられるように集まり生まれたのが『ラジオのように』であった。その魅力が集約されているのがタイトル曲で、AECと、ブリジットの公私のパートナーとなるアルジェリア人のパーカッショニスト、アレスキー・ベルセカムが複雑、自在にリズムを奏でる中、ブリジットが五月革命への情熱と虚無をあぶり出すように歌い綴っていく。
いまにも破綻しそうな歌は、軽やかなステップを踏みながら跳躍し、ギリギリのアンサンブルを描き出す。どこか醒めた呪術的な感触が、コケティッシュなブリジットの歌にぴったりと重なり、何とも魅惑的だ。ゴダールのモノクロ映画の風景が浮かんでは消えていったりもする。前衛的なアプローチであることは間違いないが、どこか人なつっこい彼女の歌声が、鋭い刃先のような表現に柔らかみを与えている。この鋭くもあたたかさを失わないところにも、『ラジオのように』がことのほか長年愛される秘密が隠されているのだろう。
アルバムには「短歌」と題されたトラックがあったりして日本人には親近感が持てるが、そのくせ演奏はアラブ/イスラム的な展開だったりするところも、誤解も含め、面白い。基本的には、アフリカン・リズムの濃厚なパーカッションとヴォイス、そしてフリー・ジャズを背景としながらも、アメリカのジャズ史まで俯瞰してみせるような音楽性を聴かせるAECの演奏によって展開されていくアルバムだが、過剰な言葉もなければ音楽的な装飾も、現代の耳からするととても少ない。
しかし、だからこそ断片的な言葉と、寓話的な世界を色づける音と音の間にパックリと空間が開き、その奥から思いがけない光景が次々と現れ、どんな音楽にも無い緊迫感を作り出すのである。それこそ、聴き手のイマジネーションが最高に刺激される瞬間と言ってもよい。多くの要素を持ったアーティストたちが、自分たちの表現を堅持しながら、他からインスパイアされたものに積極的に反応した結果、そういった刺激が生まれているのだ。
言いかえれば、ジャズ、シャンソン、ロックといったジャンル分けが全く無意味で、そんな呪縛から逃れたところにこそ、本当のスリルがあるというのを痛烈に証明したのがこのアルバムだったのである。その精神は、ソニック・ユースにまで伝わっているし、40年以上の月日が経ったというのに少しもその価値を下げてはいない。これを聴く前と後では、確実に音の聞こえる風景は変わるはずだ。
【関連サイト】
ブリジット・フォンテーヌ
サラヴァ
ブリジット・フォンテーヌ『ラジオのように』
『ラジオのように』
1969年作品
ノン・ジャンル、ミクスト・ミュージックなんていう言葉がまだ無かった時代に、大胆にジャンルの壁を越境してこそ得られる音楽がある、ということを強烈に意識させられたのが、このブリジット・フォンテーヌの1969年のアルバム『ラジオのように』だった。
小鳥のさえずりにも似た歌声に絡み付くように調和と破綻を繰り返しながら腕利きのジャズ・プレイヤーたちが音を付加していく。現代ポピュラー音楽の魅力とは、いかに多くの要因を混ぜ合わせるかというところにこそあるのだろう、とつくづく思わせる演奏が続いていくアルバムである。
40年以上も前のフランスで発売されたこのアルバム、そしてブリジットというアーティストの魅力は、時を越え、現代の人々も刺激しまくる。1998年にはステレオラブとの共演シングル、そして2001年に発表されたアルバム『Kekeland』では、ソニック・ユースからアーチー・シェップまで含む多彩な顔ぶれを従え、少しも衰えることのないクリエイティヴィティを聴かせ、『ラジオのように』が伝説でも過去でもないことを再確認させてくれたのだった。
主人公のブリジット・フォンテーヌは、1939年6月フランスのブルターニュ地方のモルレーという町に生まれた。幼い頃からファンタジー小説や芝居を好む少女だったという。1957年にソルボンヌ大学に入学するが、彼女が夢中になったのはジャズと演劇で、前衛演劇を志すようになる。と同時にギターを手にクラブでも歌うようになった彼女の特異な個性は際立ち、ジャック・ブレルら大物シャンソン歌手を見出した名プロデューサー(ジャック・カネッティ)に認められ、1966年にレコード・デビューを飾っている。
同じく彼女の才能に魅せられたのが、前衛演劇家ジャック・イジュランで、彼と組んだパフォーマンスやデュエット・アルバムは大衆性とは無縁ながら、一部で熱烈な称賛を浴びることになる。1960年代後半に世界中で爆発したサブ・カルチャーの表現域拡大の流れとも一致したのだろう。そして、それらの作品に積極的な反応を示した一人が、映画『男と女』の大ヒットでスターになっていたピエール・バルーだった。
歌手・俳優・作曲家とマルチ・タレントぶりを見せていた彼が、自身の芸術的な野心を存分に展開するために設立したレコード・レーベルが、日本でも人気の高いサラヴァで、第1弾として1968年にリリースしたのが、アルバム『ブリジット・フォンテーヌは...』だった。シャンソンの伝統を備えながら、シュールな終末感を漂わすアルバムには、すでに既成の世界に収まることのない姿勢が見えている。
さらに創造意欲を燃やす彼女に、最良の共犯者たちが現れる。アート・アンサンブル・オブ・シカゴ(以下AEC)だ。オーネット・コールマン、セシル・テイラー、アルバート・アイラーといった人々が果敢に切り開いたフリー・ジャズを、さらにアグレッシヴな姿勢で追究したこのグループは、1960年代半ばシカゴで結成された。レスター・ボウイ、ロスコー・ミッチェルらが何種類もの楽器を操りながら、時に演劇性も含んだパフォーマンスを展開。ジャズの新時代を牽引した彼らだが、とくに1969年から約2年にわたってヨーロッパに滞在し、十数枚のアルバムを作った時代は充実した頃でもあった。
パリでブリジット、イジュランらが出演した前衛劇の音楽を担当したことから交友を深めた彼らが、自然に引き寄せられるように集まり生まれたのが『ラジオのように』であった。その魅力が集約されているのがタイトル曲で、AECと、ブリジットの公私のパートナーとなるアルジェリア人のパーカッショニスト、アレスキー・ベルセカムが複雑、自在にリズムを奏でる中、ブリジットが五月革命への情熱と虚無をあぶり出すように歌い綴っていく。
いまにも破綻しそうな歌は、軽やかなステップを踏みながら跳躍し、ギリギリのアンサンブルを描き出す。どこか醒めた呪術的な感触が、コケティッシュなブリジットの歌にぴったりと重なり、何とも魅惑的だ。ゴダールのモノクロ映画の風景が浮かんでは消えていったりもする。前衛的なアプローチであることは間違いないが、どこか人なつっこい彼女の歌声が、鋭い刃先のような表現に柔らかみを与えている。この鋭くもあたたかさを失わないところにも、『ラジオのように』がことのほか長年愛される秘密が隠されているのだろう。
アルバムには「短歌」と題されたトラックがあったりして日本人には親近感が持てるが、そのくせ演奏はアラブ/イスラム的な展開だったりするところも、誤解も含め、面白い。基本的には、アフリカン・リズムの濃厚なパーカッションとヴォイス、そしてフリー・ジャズを背景としながらも、アメリカのジャズ史まで俯瞰してみせるような音楽性を聴かせるAECの演奏によって展開されていくアルバムだが、過剰な言葉もなければ音楽的な装飾も、現代の耳からするととても少ない。
しかし、だからこそ断片的な言葉と、寓話的な世界を色づける音と音の間にパックリと空間が開き、その奥から思いがけない光景が次々と現れ、どんな音楽にも無い緊迫感を作り出すのである。それこそ、聴き手のイマジネーションが最高に刺激される瞬間と言ってもよい。多くの要素を持ったアーティストたちが、自分たちの表現を堅持しながら、他からインスパイアされたものに積極的に反応した結果、そういった刺激が生まれているのだ。
言いかえれば、ジャズ、シャンソン、ロックといったジャンル分けが全く無意味で、そんな呪縛から逃れたところにこそ、本当のスリルがあるというのを痛烈に証明したのがこのアルバムだったのである。その精神は、ソニック・ユースにまで伝わっているし、40年以上の月日が経ったというのに少しもその価値を下げてはいない。これを聴く前と後では、確実に音の聞こえる風景は変わるはずだ。
(大鷹俊一)
【関連サイト】
ブリジット・フォンテーヌ
サラヴァ
ブリジット・フォンテーヌ『ラジオのように』
『ラジオのように』収録曲
01. ラジオのように/02. 短歌2/03. 霧/04. 私は26才/05. 夏、夏/06. アンコール/07. レオ/08. 小馬/09. 短歌1/10. キャロル塔の駅長さんへの手紙
01. ラジオのように/02. 短歌2/03. 霧/04. 私は26才/05. 夏、夏/06. アンコール/07. レオ/08. 小馬/09. 短歌1/10. キャロル塔の駅長さんへの手紙
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