ギルバート・オサリヴァン 「アローン・アゲイン」
2011.02.11
ギルバート・オサリヴァン
「アローン・アゲイン」
(1972年/全米No.1)
耳障りがする、という言葉の反意語は耳に心地好い、だろうか。だとするなら、これほどメロディが耳に心地好く、歌詞の内容が耳に心地悪い洋楽ナンバーはまたとあるまい。
「アローン・アゲイン」
(1972年/全米No.1)
耳障りがする、という言葉の反意語は耳に心地好い、だろうか。だとするなら、これほどメロディが耳に心地好く、歌詞の内容が耳に心地悪い洋楽ナンバーはまたとあるまい。
「またひとりぼっちになっちゃったよ」というこの曲は、ズバリ「自殺予告ソング」である。あの耳を優しくくすぐるような、眠りさえ誘いかねないふんわりとしたメロディからは、まるで想像もつかない悲惨な内容なのである。それなのに、この曲の耳障りが、もとい、耳触りの良さが災い(?)してか、もう何年も前から「アローン・アゲイン」はここ日本でCMソングやTVドラマのテーマ曲などに引っ張りだこなのだった。フンイキだけが先行してしまう洋楽ナンバーを安直に使用するとトンデモないことになる、というお手本になりそうな曲、それがこの「アローン・アゲイン」だと言っても過言ではない。
全米チャートで6週間にもわたってNo.1の座を死守したこの"自殺予告ソング"が、何故にそんなに大ヒットしたのか、その理由を、今一度、熟考してみたい。
一説には、この曲はシンガー自身の実体験に基づいている、と言われているが、彼自身はそれを否定している。曲の主人公は、先に父を、後に母を失い、あまつさえ、結婚式の当日に花嫁に逃げられてしまうという、これ以上ないというほどの不幸を味わう男性。が、この曲がリリースされた1972年当時、彼の母親は健在だった。この動かし難い事実ひとつをとってみても、曲の主人公がシンガー自身を投影した人物である、という説は一瞬にして覆ってしまう。但し彼は、次のような言葉を残している。
曰く「幼い頃に父が亡くなったので、父の記憶はほとんどありません。ただ、父が母に辛く当たっていたことは記憶しています」。ギルバート・オサリヴァンは、必ずしも幸せな幼少時代を過ごしたとは言えないようだ。
では、何故に彼はここまでミもフタもない歌詞を綴ったのか? その理由の真相(或いは深層)は、直接、本人に訊ねでもしない限り判らない。ひとつだけ言えるのは、この曲の主人公が、とにもかくにも"塔のてっぺんから飛び降りて自殺してやる"と不特定多数の人々に向かって宣言している、ということだ。結婚式の当日に花嫁に逃げられた、という設定であるから、その心情は察するに余りある。
当時、この曲が6週間も全米No.1の座に君臨したのは、メロディの美麗さも然ることながら、歌詞に共鳴した人々が大勢いたからではないか、と推測される。そしてその大半は男性だったに違いない。遠回しの表現が所々で顔を出す歌詞の行間を読むようにして、当時の哀しき殿方たちは、ここに綴られた言霊に涙したことだろう。
耳に心地好いメロディのオブラートにくるまれた言葉たちは、オブラートが溶けた途端に心を疼かせるナイフに豹変する。
全米チャートで6週間にもわたってNo.1の座を死守したこの"自殺予告ソング"が、何故にそんなに大ヒットしたのか、その理由を、今一度、熟考してみたい。
一説には、この曲はシンガー自身の実体験に基づいている、と言われているが、彼自身はそれを否定している。曲の主人公は、先に父を、後に母を失い、あまつさえ、結婚式の当日に花嫁に逃げられてしまうという、これ以上ないというほどの不幸を味わう男性。が、この曲がリリースされた1972年当時、彼の母親は健在だった。この動かし難い事実ひとつをとってみても、曲の主人公がシンガー自身を投影した人物である、という説は一瞬にして覆ってしまう。但し彼は、次のような言葉を残している。
曰く「幼い頃に父が亡くなったので、父の記憶はほとんどありません。ただ、父が母に辛く当たっていたことは記憶しています」。ギルバート・オサリヴァンは、必ずしも幸せな幼少時代を過ごしたとは言えないようだ。
では、何故に彼はここまでミもフタもない歌詞を綴ったのか? その理由の真相(或いは深層)は、直接、本人に訊ねでもしない限り判らない。ひとつだけ言えるのは、この曲の主人公が、とにもかくにも"塔のてっぺんから飛び降りて自殺してやる"と不特定多数の人々に向かって宣言している、ということだ。結婚式の当日に花嫁に逃げられた、という設定であるから、その心情は察するに余りある。
当時、この曲が6週間も全米No.1の座に君臨したのは、メロディの美麗さも然ることながら、歌詞に共鳴した人々が大勢いたからではないか、と推測される。そしてその大半は男性だったに違いない。遠回しの表現が所々で顔を出す歌詞の行間を読むようにして、当時の哀しき殿方たちは、ここに綴られた言霊に涙したことだろう。
耳に心地好いメロディのオブラートにくるまれた言葉たちは、オブラートが溶けた途端に心を疼かせるナイフに豹変する。
(泉山真奈美)
【執筆者紹介】
泉山真奈美 MANAMI IZUMIYAMA
1963年青森県生まれ。訳詞家、翻訳家、音楽ライター。CDの訳詞・解説、音楽誌や語学誌での執筆、辞書の編纂などを手がける(近著『アフリカン・アメリカン スラング辞典〈改訂版〉』)。翻訳学校フェロー・アカデミーの通信講座マスターコース及び通学講座の講師。
泉山真奈美 MANAMI IZUMIYAMA
1963年青森県生まれ。訳詞家、翻訳家、音楽ライター。CDの訳詞・解説、音楽誌や語学誌での執筆、辞書の編纂などを手がける(近著『アフリカン・アメリカン スラング辞典〈改訂版〉』)。翻訳学校フェロー・アカデミーの通信講座マスターコース及び通学講座の講師。
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