ベティー・クルティス 「田舎の母のアヴェ・マリア」
2017.03.04
ベティー・クルティス
「田舎の母のアヴェ・マリア」
(1965年)
高校生の頃、エアチェックしていたラジオの番組で初めて「アル・ディ・ラ」を聴いた。曲をかける前に、DJはベティー・クルティスのことを「歌がうまい」という風に紹介していた。それでも、当時私はカンツォーネをよく聴いていたので、ちょっとくらい歌がうまくてもそう簡単に心を動かされることはないとタカをくくっていたのだが、豈図らんや、その美声、技巧、声量を前にして、眩い光でも浴びているような心地になり、虜になった。以来、カセットテープを何度再生したことか。しかし、凄い歌手なのに、自分のまわりにいる人は誰も彼女のことを知らない。平成元年の日本の田舎ではレコードもほとんど手に入らない。それが不満で仕方なかった。
10代の私の感動の大げさぶりを差し引いても、ベティー・クルティスがおそろしく歌のうまい歌手だという事実は揺るがない。ただ惜しまれるのは、代表曲「アル・ディ・ラ」がスザンヌ・プレシェットとトロイ・ドナヒューの大ヒット映画『恋愛専科』の主題歌になった時、ベティー・クルティスではなくエミリオ・ペリコーリが劇中で歌い、彼女の名前が一般層にまで今ひとつアピールされず終わったことである。さらに言えば、フランク・プゥルセルとポール・モーリアが書いた「愛のシャリオ」に関しても、ペトゥラ・クラーク、ベティー・クルティスが歌ったバージョンがあるのに、リトル・ペギー・マーチの「アイ・ウィル・フォロー・ヒム」として世界的に有名になる、という出来事があった。当人には何の非もないが、そういったことが重なり、今日の日本における知名度に影響を与えているのだろう。
1936年、ベティー・クルティスはミラノに生まれた。学校を出た後、昼はデパートに勤め、夜はナイトクラブで歌う生活を送り、やがてCGDレコードからデビュー。1958年の「With All My Heart」(「ゴンドリエ」)で注目を浴び、翌年のサンレモ音楽祭で大活躍、「ネッスーノ」「唇の上のキッス」「ヘ調の行進曲」の3曲を歌い、すべて入賞という快挙を成し遂げた。勢いはとどまることなく、1960年に「月の光」を大ヒットさせ、1961年のサンレモ音楽祭では「アル・ディ・ラ」(パートナーはルチアーノ・タヨーリ)を熱唱して優勝。同年、ナポリ・フェスティバルで「あなたはメランコリー」(パートナーはアウレリオ・フィエロ)を歌って優勝し、スターの座に就いた。
「ウルラトーレ(シャウト唱法)」の歌手として知られたが、パワーだけが売りではない(そういう曲もあるけど)。抑えた歌い方も凄く魅力的だし、ソフトに歌う時の力の抜き加減も実に絶妙だ。不自然な発声をしないため、なんでも楽々と歌っているように聞こえる。そこがこの人の底知れないところで、喉が丈夫なだけでなく、きちんと鍛錬を積んでいたのだろう。50歳を過ぎても枯れた感じにならず、1993年に発表されたアルバムで美声を披露していた。
「田舎の母のアヴェ・マリア」は1965年の作品で、有名というほどではないが、ベティー・クルティスのファンならば、「この名唱を聴かずして彼女のことは語れない」と熱弁をふるうにちがいない。それくらい美しい曲で、静かなギターの爪弾きが醸し出す素朴なムードを損なわない、やさしくてあたたかい慈雨のようなボーカルが胸にしみる。サビでドラマティックに声を張るメリハリの付け方もうまい。
タイトルからも想像できるように、これは祈りの歌である。ミラノの田舎に住む母親が、聖母に向かい、時折感情を高ぶらせて方言で語りかけ、「我が子が立派になることは望みません、みんなから好かれ、人並みに良い人間になることを願います」と祈るのだ。作詞は「クアンド・クアンド・クアンド」のアルベルト・テスタ、作曲は「青春に恋しよう」のジーン・コロンネッロ。1965年という時代を考慮に入れても、このクラシカルな素朴さは異質に思えるが、歌い手の表現の豊かさが並でなく、最後の一音が止んだあとに深い余韻が残る。歌詞にはミラノの方言がつかわれているので、その点でも彼女は創唱者として適任だった。
ベティー・クルティスのように完全無欠に見える歌手にも、合う曲と合わない曲はある。ただ、オリジナル曲でもカバー曲でも、独自の勝手な解釈を加えず、類い稀な歌唱力を生かして、歌詞とメロディーの魅力を素直に引き出すところは一貫していた。そんな美質が最も能く発揮された一例として、「田舎の母のアヴェ・マリア」を挙げることに私は躊躇を感じない。
【関連サイト】
Betty Curtis(CD)
「田舎の母のアヴェ・マリア」
(1965年)
高校生の頃、エアチェックしていたラジオの番組で初めて「アル・ディ・ラ」を聴いた。曲をかける前に、DJはベティー・クルティスのことを「歌がうまい」という風に紹介していた。それでも、当時私はカンツォーネをよく聴いていたので、ちょっとくらい歌がうまくてもそう簡単に心を動かされることはないとタカをくくっていたのだが、豈図らんや、その美声、技巧、声量を前にして、眩い光でも浴びているような心地になり、虜になった。以来、カセットテープを何度再生したことか。しかし、凄い歌手なのに、自分のまわりにいる人は誰も彼女のことを知らない。平成元年の日本の田舎ではレコードもほとんど手に入らない。それが不満で仕方なかった。
10代の私の感動の大げさぶりを差し引いても、ベティー・クルティスがおそろしく歌のうまい歌手だという事実は揺るがない。ただ惜しまれるのは、代表曲「アル・ディ・ラ」がスザンヌ・プレシェットとトロイ・ドナヒューの大ヒット映画『恋愛専科』の主題歌になった時、ベティー・クルティスではなくエミリオ・ペリコーリが劇中で歌い、彼女の名前が一般層にまで今ひとつアピールされず終わったことである。さらに言えば、フランク・プゥルセルとポール・モーリアが書いた「愛のシャリオ」に関しても、ペトゥラ・クラーク、ベティー・クルティスが歌ったバージョンがあるのに、リトル・ペギー・マーチの「アイ・ウィル・フォロー・ヒム」として世界的に有名になる、という出来事があった。当人には何の非もないが、そういったことが重なり、今日の日本における知名度に影響を与えているのだろう。
1936年、ベティー・クルティスはミラノに生まれた。学校を出た後、昼はデパートに勤め、夜はナイトクラブで歌う生活を送り、やがてCGDレコードからデビュー。1958年の「With All My Heart」(「ゴンドリエ」)で注目を浴び、翌年のサンレモ音楽祭で大活躍、「ネッスーノ」「唇の上のキッス」「ヘ調の行進曲」の3曲を歌い、すべて入賞という快挙を成し遂げた。勢いはとどまることなく、1960年に「月の光」を大ヒットさせ、1961年のサンレモ音楽祭では「アル・ディ・ラ」(パートナーはルチアーノ・タヨーリ)を熱唱して優勝。同年、ナポリ・フェスティバルで「あなたはメランコリー」(パートナーはアウレリオ・フィエロ)を歌って優勝し、スターの座に就いた。
「ウルラトーレ(シャウト唱法)」の歌手として知られたが、パワーだけが売りではない(そういう曲もあるけど)。抑えた歌い方も凄く魅力的だし、ソフトに歌う時の力の抜き加減も実に絶妙だ。不自然な発声をしないため、なんでも楽々と歌っているように聞こえる。そこがこの人の底知れないところで、喉が丈夫なだけでなく、きちんと鍛錬を積んでいたのだろう。50歳を過ぎても枯れた感じにならず、1993年に発表されたアルバムで美声を披露していた。
「田舎の母のアヴェ・マリア」は1965年の作品で、有名というほどではないが、ベティー・クルティスのファンならば、「この名唱を聴かずして彼女のことは語れない」と熱弁をふるうにちがいない。それくらい美しい曲で、静かなギターの爪弾きが醸し出す素朴なムードを損なわない、やさしくてあたたかい慈雨のようなボーカルが胸にしみる。サビでドラマティックに声を張るメリハリの付け方もうまい。
タイトルからも想像できるように、これは祈りの歌である。ミラノの田舎に住む母親が、聖母に向かい、時折感情を高ぶらせて方言で語りかけ、「我が子が立派になることは望みません、みんなから好かれ、人並みに良い人間になることを願います」と祈るのだ。作詞は「クアンド・クアンド・クアンド」のアルベルト・テスタ、作曲は「青春に恋しよう」のジーン・コロンネッロ。1965年という時代を考慮に入れても、このクラシカルな素朴さは異質に思えるが、歌い手の表現の豊かさが並でなく、最後の一音が止んだあとに深い余韻が残る。歌詞にはミラノの方言がつかわれているので、その点でも彼女は創唱者として適任だった。
ベティー・クルティスのように完全無欠に見える歌手にも、合う曲と合わない曲はある。ただ、オリジナル曲でもカバー曲でも、独自の勝手な解釈を加えず、類い稀な歌唱力を生かして、歌詞とメロディーの魅力を素直に引き出すところは一貫していた。そんな美質が最も能く発揮された一例として、「田舎の母のアヴェ・マリア」を挙げることに私は躊躇を感じない。
(阿部十三)
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