ボビー・ヘブ 「サニー」
2011.07.13
ボビー・ヘブ
「サニー」
(1966年/全米No.2、全英No.12)
一度、耳にしたら忘れられないメロディ。幼少時代、FEN(現AFN)からこの曲が頻繁に流れていたのを記憶している。歌い出しの♪Sunny...も、まだ英語の聞き取りができない年齢だったが、そこだけはずっと耳に残っていた。今もどこかしらで耳にする機会が決して少なくないこの「サニー」(R&BチャートNo.3)は、ボビー・ヘブ(1938年〜2010年)の代名詞的大ヒット曲であると同時に、ポップスのスタンダード・ナンバーと言ってもいいほど無数のカヴァー・ヴァージョンがレコーディングされている。
この曲を単純なラヴ・ソングだと思っていた頃、聴く度に必ず心に泛ぶ疑問があった。歌詞が幸せいっぱいの明るい典型的なラヴ・ソングであるにも拘らず、何故にヴォーカルが薄らと愁いを帯びているのか? 曲全体に漂うこの如何ともし難い気だるさは、一体どこからくるのだろう? タイトルの〈Sunny〉は愛する女性の名前ではないのか?
そうした疑問を抱きつつ、この曲の真義を確かめることなく月日が経過した。しかしながら、フトした瞬間ーー取り分け、真夏の太陽が照り始めるとーーにこの曲が無性に聴きたくなり、その度に同じ疑問にぶち当たる。ようやくそれが氷解したのは、1980年代後期のこと。米ビルボード誌のR&Bチャート(注:同チャートの名称は過去に何度か変更されている)のデータ・ブック『TOP R&B Singles』の1st エディションでたまたまボビー・ヘブの項目を見た際、「サニー」のデータの下に[written by Bobby after his brother Hal was killed in a mugging(彼の兄弟ハルが強盗事件に巻き込まれて死亡した後にボビーによって作られた曲)]とあったのだ。後に詳しく調べてみたところ、ハルとは、幼少の頃にボビーとデュオを組んでいた兄ハロルドを指し、件の事件は、ヘブ兄弟の地元ナッシュヴィルのナイトクラブで起こったことを知るに至った。兄の急逝がボビーに「サニー」を作らせた動機だとしたら、タイトルは愛する女性ではなく兄を示唆しているのだろうか......? 長年の疑問が解けた側から新たな疑問が生まれる。一体、〈Sunny〉って誰のこと?
ボビーの兄は、奇しくもアメリカの第35代大統領ジョン・F・ケネディが暗殺された日(1963年11月22日)の翌日に命を絶たれた。後年、「サニー」は兄ハロルドとケネディ大統領に捧げられた曲である、と、まことしやかに伝えられた最大の理由はそこにある。が、当のボビーは、それとは異なる見識を述べていた。筆者は個人的に〈君が僕に全てを捧げてくれたお蔭で/今の僕は身長が10フィート(約3m)になったみたいな気分だよ〉というフレーズが昔から大好きなのだが、こんなこと、実の兄や母国の長たる大統領に向かって言うだろうか? ここのフレーズは当然ながら比喩であり、意訳するなら〈君のお蔭で僕は一人前の男になれた気分だ〉と言っているのである。
ここで注目したいのは、1th〜3rdヴァースでは、相手(の女性)の動詞が全て過去形で歌われていたにも拘らず、最後の4thヴァースではいきなり現在形になっている点である。同一の歌詞でこうした時制の変化は必ずしも珍しくないが、この「サニー」に限って言えば、唐突な印象を与えずにはおかない。ボビー自身は、続けざまに悲劇的な出来事に直面したことで、それを忘れるためなのか、ひと筋の明るい光明を手探りするようなつもりで同曲を綴ったと生前に述懐している。時制の急な変化は意識的なのか無意識なのか、それは今となっては知る由もないが、彼はこの曲の歌詞を綴りながら、どんどん気分が高揚していったのではないだろうか。そして気付いた時には、最後のヴァースが現在形でーー今この瞬間に自分は幸せに満ち溢れているんだ、と自分自身を鼓舞するかのようにーー綴られていたのではないか、との思いを強くした。過去形→現在形の変化と呼応するように、曲の後半では、歌い出しがあんなにもアンニュイだったヴォーカルにも生気が宿る。
言葉を紡ぎながら思い描いた幸せは、実に漠然としていながらも、心のどこかで確信せずにはいられないものだったのだろう。そして正体不明の〈Sunny〉は、最後のヴァースで明らかになるように、その幸せをもたらしてくれるであろう(曲の中における空想上の)理想の女性像に外ならない。これは、ボビーが自分自身を絶望の淵から這い上がらせるために綴った、自己の魂救済ソングなのである。
【関連サイト】
BOBBY HEBB(CD)
「サニー」
(1966年/全米No.2、全英No.12)
一度、耳にしたら忘れられないメロディ。幼少時代、FEN(現AFN)からこの曲が頻繁に流れていたのを記憶している。歌い出しの♪Sunny...も、まだ英語の聞き取りができない年齢だったが、そこだけはずっと耳に残っていた。今もどこかしらで耳にする機会が決して少なくないこの「サニー」(R&BチャートNo.3)は、ボビー・ヘブ(1938年〜2010年)の代名詞的大ヒット曲であると同時に、ポップスのスタンダード・ナンバーと言ってもいいほど無数のカヴァー・ヴァージョンがレコーディングされている。
この曲を単純なラヴ・ソングだと思っていた頃、聴く度に必ず心に泛ぶ疑問があった。歌詞が幸せいっぱいの明るい典型的なラヴ・ソングであるにも拘らず、何故にヴォーカルが薄らと愁いを帯びているのか? 曲全体に漂うこの如何ともし難い気だるさは、一体どこからくるのだろう? タイトルの〈Sunny〉は愛する女性の名前ではないのか?
そうした疑問を抱きつつ、この曲の真義を確かめることなく月日が経過した。しかしながら、フトした瞬間ーー取り分け、真夏の太陽が照り始めるとーーにこの曲が無性に聴きたくなり、その度に同じ疑問にぶち当たる。ようやくそれが氷解したのは、1980年代後期のこと。米ビルボード誌のR&Bチャート(注:同チャートの名称は過去に何度か変更されている)のデータ・ブック『TOP R&B Singles』の1st エディションでたまたまボビー・ヘブの項目を見た際、「サニー」のデータの下に[written by Bobby after his brother Hal was killed in a mugging(彼の兄弟ハルが強盗事件に巻き込まれて死亡した後にボビーによって作られた曲)]とあったのだ。後に詳しく調べてみたところ、ハルとは、幼少の頃にボビーとデュオを組んでいた兄ハロルドを指し、件の事件は、ヘブ兄弟の地元ナッシュヴィルのナイトクラブで起こったことを知るに至った。兄の急逝がボビーに「サニー」を作らせた動機だとしたら、タイトルは愛する女性ではなく兄を示唆しているのだろうか......? 長年の疑問が解けた側から新たな疑問が生まれる。一体、〈Sunny〉って誰のこと?
ボビーの兄は、奇しくもアメリカの第35代大統領ジョン・F・ケネディが暗殺された日(1963年11月22日)の翌日に命を絶たれた。後年、「サニー」は兄ハロルドとケネディ大統領に捧げられた曲である、と、まことしやかに伝えられた最大の理由はそこにある。が、当のボビーは、それとは異なる見識を述べていた。筆者は個人的に〈君が僕に全てを捧げてくれたお蔭で/今の僕は身長が10フィート(約3m)になったみたいな気分だよ〉というフレーズが昔から大好きなのだが、こんなこと、実の兄や母国の長たる大統領に向かって言うだろうか? ここのフレーズは当然ながら比喩であり、意訳するなら〈君のお蔭で僕は一人前の男になれた気分だ〉と言っているのである。
ここで注目したいのは、1th〜3rdヴァースでは、相手(の女性)の動詞が全て過去形で歌われていたにも拘らず、最後の4thヴァースではいきなり現在形になっている点である。同一の歌詞でこうした時制の変化は必ずしも珍しくないが、この「サニー」に限って言えば、唐突な印象を与えずにはおかない。ボビー自身は、続けざまに悲劇的な出来事に直面したことで、それを忘れるためなのか、ひと筋の明るい光明を手探りするようなつもりで同曲を綴ったと生前に述懐している。時制の急な変化は意識的なのか無意識なのか、それは今となっては知る由もないが、彼はこの曲の歌詞を綴りながら、どんどん気分が高揚していったのではないだろうか。そして気付いた時には、最後のヴァースが現在形でーー今この瞬間に自分は幸せに満ち溢れているんだ、と自分自身を鼓舞するかのようにーー綴られていたのではないか、との思いを強くした。過去形→現在形の変化と呼応するように、曲の後半では、歌い出しがあんなにもアンニュイだったヴォーカルにも生気が宿る。
言葉を紡ぎながら思い描いた幸せは、実に漠然としていながらも、心のどこかで確信せずにはいられないものだったのだろう。そして正体不明の〈Sunny〉は、最後のヴァースで明らかになるように、その幸せをもたらしてくれるであろう(曲の中における空想上の)理想の女性像に外ならない。これは、ボビーが自分自身を絶望の淵から這い上がらせるために綴った、自己の魂救済ソングなのである。
(泉山真奈美)
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BOBBY HEBB(CD)
【執筆者紹介】
泉山真奈美 MANAMI IZUMIYAMA
1963年青森県生まれ。訳詞家、翻訳家、音楽ライター。CDの訳詞・解説、音楽誌や語学誌での執筆、辞書の編纂などを手がける(近著『アフリカン・アメリカン スラング辞典〈改訂版〉』)。翻訳学校フェロー・アカデミーの通信講座マスターコース及び通学講座の講師。
泉山真奈美 MANAMI IZUMIYAMA
1963年青森県生まれ。訳詞家、翻訳家、音楽ライター。CDの訳詞・解説、音楽誌や語学誌での執筆、辞書の編纂などを手がける(近著『アフリカン・アメリカン スラング辞典〈改訂版〉』)。翻訳学校フェロー・アカデミーの通信講座マスターコース及び通学講座の講師。
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