音楽 POP/ROCK

ドゥービー・ブラザーズ 「ホワット・ア・フール・ビリーヴス」

2012.05.20
ドゥービー・ブラザーズ
「ホワット・ア・フール・ビリーヴス」

(1978年)

 旧聞に属するが、去る2012年3月12日、ドゥービー・ブラザーズのドラマー、マイケル(通称マイク)・ホサックが亡くなった。享年65。彼はグループに加入→脱退→改めて加入を何度かくり返しているが、その訃報に接して、久々にドゥービー・ブラザーズの名前を思い出した人も少なくないだろう。但し、この「ホワット・ア・フール・ビリーヴス(旧邦題:ある愚か者の場合)」が収録されている1978年リリースのアルバム『MINUTE BY MINUTE』のレコーディングにホサックは関わっていない。同アルバムの2曲目に収録されている「ホワット・ア・フール・ビリーヴス」は、アルバムがリリースされた翌年の1979年にシングル・カットされて大ヒットした。ここ日本では、10年ぐらい前にイギリスのアーティスト、マット・ビアンコによるカヴァー・ヴァージョンが某自動車メーカーのCMソングに起用されていたので、それをご記憶の方も多いと思う。余談ながら、原曲のイメージが吹っ飛んでしまう、ソウルの女王アレサ・フランクリンによるソウルフルなカヴァー・ヴァージョン(1980年リリースのアルバム『ARETHA』収録/原曲の歌詞をhe→she、she→heに変えて歌っている)は一聴の価値アリ。

 この曲は、ドゥービー・ブラザーズのオリジナル・メンバーのひとりだったトム・ジョンストンが持病の胃障害が悪化したためにグループからの一時的脱退を余儀なくされ、彼の後釜として新加入したマイケル・マクドナルドと、シンガー/ギタリストのケニー・ロギンスによる合作である。ドゥービー・ブラザーズもしくはロギンスの熱心なファンなら先刻ご承知だろうが、この曲を最初にレコーディングしたのは、ロギンスだった(1978年のアルバム『NIGHTWATCH』に収録/シングル・カットはされなかった)。従って、厳密に言えば、ドゥービー・ブラザーズのそれはカヴァー・ヴァージョンということになる。が、彼らのヴァージョンがシングル・カットされ、グループに「ブラック・ウォーター」(1974年)以来、約4年ぶりとなる全米No.1をもたらし、更には、1980年のグラミー賞で2部門の栄冠に輝いたことで、「ホワット・ア・フール・ビリーヴス」はマクドナルド加入後の彼らの代表曲のひとつとなったわけだ。

 この曲の歌詞は、英語圏の人々の耳にすら難解に聞こえるらしい。一聴しただけではなかなかその真意が汲み取れない、というのだ。それもそのはずで、これほど現在・過去・未来が複雑に入り乱れて混在している歌詞も珍しい。いわんとしていることは単純なのにーー去って行ってしまった恋人に対して未練タラタラの男性が、いつか彼女が戻ってくると、未だに信じて疑っていない(タイトルにある〈A Fool〉は、もちろん曲の主人公の男性を客観的に指している)ーーこの曲の歌詞に登場する動詞の時制は、英文法に倣って説明すると、過去形、現在形、現在進行形、過去完了形、未来形...etc.と、実に種々多様だ。これほど時制の不一致が入り乱れている英詞も珍しいのではないだろうか。これでは、英語圏のリスナーといえども、理解に苦しむのもむべなるかな、である。聴いているうちに、過去と現在と未来がごちゃ混ぜになってしまい、現状を把握しにくい。

 動詞の時制がここまでバラバラなのには、それなりの理由があるのではないか、と気付いたのは、筆者がこの曲を初めてFEN(現AFN)で耳にしてから、実に20年以上が経ってからのこと。ご多分に漏れず、先述のマット・ビアンコによるカヴァー・ヴァージョンをたまたまCMで耳にして、「そう言えば、この曲って本当はどういう意味なんだっけ」と思い立ち、初めて歌詞をじっくりと傾聴し、自分なりに分析してみた。結果......女にフラレた主人公にとっては、彼女との恋愛が完全に終わったわけでなく、あまつさえ、いつか彼女が自分のもとに戻ってくると(愚かにも)信じ込んでいる。一方の彼女は、彼のもとに戻ることは決してあり得ないのだ、という結論に辿り着いた。こうしてみると、かつての邦題「ある愚か者の場合」が実に示唆的で、形而下的なものにさえ思えてきてしまう。端的に言えば、〈彼〉にとっては〈彼女〉との恋愛が未来的な期待(=ヨリを戻すこと)をも含む現在進行形の出来事であるのに対し、〈彼女〉にとっては、過去の産物に過ぎないのだ。何とも哀れな男の心情が滲み出ている歌詞ではないか。

 イギリスの詩人、アレキサンダー・ポープ(1688-1744)の有名な著作『AN ESSAY ON CRITICISM』(筆者はこれを、大学時代に選択した English Poetryの授業で習った)の一節に、次のような言葉がある。曰く、〈Fools rush in where angels fear to tread.(神の使者である天使たちでさえも恐れをなして踏み込むことのできない場所へ、愚かなる者たちは後先を顧みず突進して行くものだ)〉。学生時代、English Poetry の授業が大好きで一度も自主休講(早い話がサボり)したことがなかったので、未だにポープによるこの一節が頭から離れない。深読みを恐れずに言うと、ポープによるその一節と、「ホワット・ア・フール・ビリーヴス」の歌詞には、どこか通底するものがあるのではないか。

 グループ脱退後にソロに転向したマクドナルドが独特のファルセットがかったリード・ヴォーカルで歌い上げるこの曲は、歌詞が難解なわりには大ヒットした。当時、AOR風のサウンドが受けたのか、それとも歌詞の内容に共鳴した男性がこの曲に飛びついたのか、大ヒットに至ったまでの経緯は未だ謎である。それほど歌詞に綴られている言葉が回りくどいからだ。抽象的、概念的を通り越して、ラヴ・ソング(失恋ソング)としては哲学的と言ってもいいだろう。この曲の歌詞以上に時制の不一致が認められる洋楽ナンバーに、筆者は未だ出逢った試しがない。

 最後に、面白いエピソードをひとつご紹介。今から20年ぐらい前、某洋楽専門誌でドゥービー・ブラザーズの特集を組んだ際、担当編集者がこの曲のタイトルを日本で最初にリリースされた時の「ある愚か者の場合」として誌面に載せたところ、それを見たドゥービー・ブラザーズの担当ディレクター氏から編集部に電話があり、気色ばんだ様子でこう抗議したという。「ウチの会社では、もう昔の邦題はやめてカタカナ起こしになってますんで、そこんところ、宜しくお願いしますよッ!」ーー何故に邦題の「ある愚か者の場合」がカタカナ起こしに変わってしまったのか、詳細のほどは判らない。が、筆者としては、日本の洋楽文化のひとつだと思っている的を射た邦題(誤訳による邦題は論外だが)が、またひとつ失われてしまったのかと、その話を編集者から聞かされた時に、甚く残念に感じたものだ。
 「ある愚か者の場合」ーーこの邦題に郷愁を覚える往年のドゥービー・ブラザーズのファンの人々は、味もそっけもない変更後のカタカナ起こしの邦題をどう思っているのか、ぜひとも訊ねてみたいものだ。
(泉山真奈美)


【関連サイト】
THE DOOBIE BROTHERS
THE DOOBIE BROTHERS(CD)
【執筆者紹介】
泉山真奈美 MANAMI IZUMIYAMA
1963年青森県生まれ。訳詞家、翻訳家、音楽ライター。CDの訳詞・解説、音楽誌や語学誌での執筆、辞書の編纂などを手がける(近著『アフリカン・アメリカン スラング辞典〈改訂版〉』)。翻訳学校フェロー・アカデミーの通信講座マスターコース及び通学講座の講師。