ジョージ・マイケル 「アメイジング」
2012.09.26
ジョージ・マイケル
「アメイジング」
(2004年/全英No.4)
【The Sexual Side of The Song】
音楽も文化も、そして英語の発音も、幼い頃からアメリカのそれにドップリと浸かってきた筆者の半生において、イギリス人アーティストのジョージ・マイケルは(妙な言い方だが)突然変異にも等しい存在だった。否、過去形ではない。彼の類稀なる音楽的才能に気付いたその瞬間ーーワム!解散直前にレコーディングした、ソウルの女王ことアレサ・フランクリンとのデュエット・ナンバー「I Knew You Were Waiting(For Me)」(1987年/全米、全英の両チャートでNo.1/ちなみに、R&BチャートではNo.5)をFEN(現AFN)で初めて耳にした時ーーに、遅まきながら彼の〈シンガー〉としての技量の大きさと奥行きの深さをまざまざと見せつけられ、歳月を重ねる毎に、彼の歌声に以前にも況して魅せられ続けている。「愛のおとずれ」という邦題を持つ同曲を初めて聴いたその日のうちに、自宅から最短距離にあった某輸入盤レコード・ショップ(だいぶ前に閉店)に駆け込み、USシングル盤を見つけるや否やレジへと直行。本音を言えば、12インチ・シングルも欲しかったのだが、残念ながら店頭にはなく、とりあえずシングル盤だけを買い、寄り道をせずに真っ直ぐ帰宅して取り憑かれたように永遠リピートで聴きまくった。そして今でも、四半世紀も前の同シングル盤は、頻繁にターンテイブルの上に乗る。
ジョージがシンガーとして卓越した歌唱力の持ち主であることは言わずもがなだが、こと曲作りの面に関して言えば、ありとあらゆる才能に恵まれた稀有なアーティストである。作詞作曲/プロデュース/アレンジを全て独力でやってのけ、演奏できる楽器も複数あり、そしてもっと細かなことを言えば、〈完璧主義者〉という言葉が陳腐に響いてしまうほど、彼は自身の作品に能う限りの才能と心血、そして全身全霊を注ぐのだ。
例えば、ジョージがソロ・シンガーに転向したばかりの頃、次のようなエピソードを聞いたことがある。彼は、忙しい日々の合間を縫って、自身のLP(注:CDではない)のプレス工場までわざわざ足を運び、レコードの製造過程をつぶさに眺めるというのだ。恐らくは、その場で出来立てほやほやの新譜のLPを試聴したことだろう(ジョージなら必ずそうするはず)。筆者の頭の中には、これまでインタヴューしたアーティストたちの印象に残った言葉や、実際に会ったことはなくてもどこかで見聞きした興味深いエピソードの数々が無数に記憶されているが、ジョージがプレス工場へ行って自分のLPの出来栄えを精査したという話は、生涯、忘れることはないだろう。筆者は〈〜魂〉という日本語を忌み嫌っているが、敢えてこの場で使わせてもらうなら、そのエピソードを知った時、ジョージのアーティスト魂に激しく心を揺さぶられたのだった。
筆者は、15年来の音楽仲間であり呑み仲間である男友だちに、「死んだら葬儀も墓も戒名も一切ナシにして、火葬してもらったら本牧の海に散骨して欲しい、と書いた遺書を何年も前から家人に渡してあるけど、お別れの会みたいなのをやってくれるのなら、このCDを流してちょうだい」と、自分で作ったCD-Rを託してある。その少し前に、膵臓ガンの疑いあり、との診断を受け、長生き願望がまるでない筆者は、「それならそれでいい」と生死を達観した。その際、今も通院している某病院の主治医(ディープ・パープルとイーグルスの大ファン。ついでに言えば、ジョージ、主治医、筆者の3人は奇しくも同じ1963年生まれ)に、「もしガンだったら手術も延命治療も絶対にしないで。でも痛いのはイヤだから、痛くなったらモルヒネをバンバン打って楽に死なせて」と言い放ったものだ。更には、その旨を毛筆で記して実印を押した〈嘆願書〉を主治医に渡し、今も筆者のカルテにはそれがクリップで留めてある。後に膵臓ガンの疑いは晴れたが、一度〈死〉を覚悟したこともあってか、ふいにそのCD-Rの作成を思いついた次第。そして収録した曲のうちのひとつが、個人的にはジョージ・マイケルが生んだ最高傑作だと思っている「アメイジング」だった。
ワム!解散後、数年を経て、ジョージは自分が同性愛者であることを公表した。それでも筆者の彼に対する深い思いの丈は変わることはなかった。ワム!時代に両耳にピアスを着けていた時から、漠然とそんな気がしていたため、特に驚きもせず、むしろ「ああ、これでやっとジョージも精神的に開放されて、これからは煩悩や邪念に縛られることなく、音楽活動に没頭できるのね」と、心から喜んだほどである。そしてそれ以降のジョージの音楽的感性はいよいよ研ぎ澄まされ、驚嘆を遥かに超越するほど完成度の高い曲を提示される度に、「彼は一体どこまで行ってしまうのだろう...?」という、歓心とある種の恐怖心が入り交じった、何とも表現のしようのない摩訶不思議な感覚に襲われてしまうのだ。
「アメイジング」が収録されている『PATIENCE』(2004年)は、1993年にエイズによる合併症で亡くなったジョージのかつての恋人アンセルモ・フェレッパへの哀悼の念を滲ませつつも、余人には到底理解できないジョージの心の闇に一筋の光明を射し込んでくれた、(当時の)新しい恋人ケニー・ゴス(出逢いは1996年、2009年に別離)に捧げられたアルバムである。ケニーはテキサス生まれの美術品ディーラーで、ジョージとレストランで初めて出逢った際、〈ジョージ・マイケルが誰であるか〉を知らなかった、という。そしてそのことが、ジョージがケニーに惹かれた最大の要因だった、と。つまりケニーは、ジョージを良くも悪くも有名人ーー超人気アーティストである一方では、同性愛者であることや、公共猥褻罪や麻薬使用での逮捕歴など、スキャンダルも多いーーという色眼鏡を通して見るのではなく、ひとりの人間として彼に接したわけだ。常に衆目を集め、アーティストとしての才能に着目されるよりも、スキャンダルばかりが先行していた当時のジョージにとって、それは奇蹟にも相当する出来事だったのではないか。〈ジョージ・マイケル=世界的に有名なアーティスト〉ではなく、〈ジョージ・マイケル=一個人〉として自分を見てくれる男性がこの世に存在していたとは...!!!!!!!! 筆者は、両者の出逢いにまつわるそのエピソードを思い出す度に、心の琴線を掻き鳴らされるような感覚に陥ってしまう。
歌詞の1stヴァースには、先に誘いをかけたのはケニーの方だった、ということを示唆するフレーズがある。が、ジョージは彼になかなかなびかなかった。何故なら、亡くなった恋人アンセルモのことを忘れられずにいたからだ。ところが、悲しみに沈んで自分の殻に閉じこもっていたジョージの心の扉を開けてくれたのが、ケニーその人だったのである。彼に捧げたこの曲の中でジョージは、彼との出逢い、そして彼の存在そのものを、〈amazing(現実とは思えないほど素晴らしい、夢のようだ、奇蹟かも知れない)〉と、ありったけの思いの丈を込めて高らかに謳い上げているのだ。性別を超えて、これほど純真無垢で歓喜に満ち満ちたラヴ・ソングを、筆者は寡聞にして外に知らない。だからリリースから8年が経った今でも、「アメイジング」のUKシングル盤は、ただの一度もCD棚に収まることなく、仕事机の傍らに置いてある、PC関連グッズや文具を山ほど積んだバイクの部品用カートの一番上のCD専用木箱の中に、いつでも取り出せるように納めてある。これまでどのぐらいくり返して聴いたかなんて、数えたこともないし思い出せもしない。千回? 否、1万回?ーー恐らくそれ以上の回数に達しているだろう。それでも飽きるどころか、益々、「アメイジング」への思い入れが深くなるばかりである。これは、今わの際まで聴いていたい曲のひとつだと道破してもいい。
ケニーとの出逢いから愛し合うようになるまでの過程をあけっぴろげに、しかしながら詩的に綴った歌詞の繊細さも然ることながら、どこかしら哀愁を漂わせつつも歓びの調べがそこに溶け込んでいるメロディ、シンプルでありながら、聴けば聴くほどにその音作りの妙技に唸らせられる作り込んだバックグラウンド・ミュージック、そして何にも況して、喉を自由自在に操るジョージの絶妙な節回しに心を鷲掴みにされ、魂を丸ごと奪われてしまう。♪Tell me... で始まるコーラス部分の♪The day you walked in and changed my life... の〈life〉の節回しは、この世でジョージにしか歌えない。そこを聴く度に、知らず知らずのうちに目を閉じてしまっている自分がそこにいる。無意識のうちに、だ。たったひと言の〈life〉を聴いただけでも、ジョージが不世出の歌い手であることが歴然とする。
奇蹟のような人物=ケニーと出逢い、あり得ないと思っていた奇蹟を身を以て体験したジョージ。もし仮に彼が同性愛者でなかったなら、この曲は今ここに存在し得なかった。それもまた神の采配だとするなら、「アメイジング」は〈the most amazing song ever〉であるに相違ない。加えてジョージは、曲の中でケニーこそが自分にとっての救世主=the saviorだと歌っている。神がジョージのもとに遣わした天使。『PATIENCE』には、ケニーに捧げた「アメリカン・エンジェル」なる曲も収録されている(歌詞がプリントされたブックレットの同曲の見開きの右ページには、笑顔のケニーの写真が掲載されている)。奇蹟は、偶然から引き起こされるものだろうか。否、筆者は決してそうは思わない。筆者は勝手に自分で意訳をつけた自作の諺(と言っては烏滸がましいが...)〈Things happen.(全ての偶然は必然である)〉を座右の銘としているが、ジョージが「アメイジング」を生み出したこともまた、〈one of the THINGS that HAPPENED in his life〉だったのだ。
【関連サイト】
Amazing
Patience(CD)
GEORGE MICHAEL
「アメイジング」
(2004年/全英No.4)
【The Sexual Side of The Song】
音楽も文化も、そして英語の発音も、幼い頃からアメリカのそれにドップリと浸かってきた筆者の半生において、イギリス人アーティストのジョージ・マイケルは(妙な言い方だが)突然変異にも等しい存在だった。否、過去形ではない。彼の類稀なる音楽的才能に気付いたその瞬間ーーワム!解散直前にレコーディングした、ソウルの女王ことアレサ・フランクリンとのデュエット・ナンバー「I Knew You Were Waiting(For Me)」(1987年/全米、全英の両チャートでNo.1/ちなみに、R&BチャートではNo.5)をFEN(現AFN)で初めて耳にした時ーーに、遅まきながら彼の〈シンガー〉としての技量の大きさと奥行きの深さをまざまざと見せつけられ、歳月を重ねる毎に、彼の歌声に以前にも況して魅せられ続けている。「愛のおとずれ」という邦題を持つ同曲を初めて聴いたその日のうちに、自宅から最短距離にあった某輸入盤レコード・ショップ(だいぶ前に閉店)に駆け込み、USシングル盤を見つけるや否やレジへと直行。本音を言えば、12インチ・シングルも欲しかったのだが、残念ながら店頭にはなく、とりあえずシングル盤だけを買い、寄り道をせずに真っ直ぐ帰宅して取り憑かれたように永遠リピートで聴きまくった。そして今でも、四半世紀も前の同シングル盤は、頻繁にターンテイブルの上に乗る。
ジョージがシンガーとして卓越した歌唱力の持ち主であることは言わずもがなだが、こと曲作りの面に関して言えば、ありとあらゆる才能に恵まれた稀有なアーティストである。作詞作曲/プロデュース/アレンジを全て独力でやってのけ、演奏できる楽器も複数あり、そしてもっと細かなことを言えば、〈完璧主義者〉という言葉が陳腐に響いてしまうほど、彼は自身の作品に能う限りの才能と心血、そして全身全霊を注ぐのだ。
例えば、ジョージがソロ・シンガーに転向したばかりの頃、次のようなエピソードを聞いたことがある。彼は、忙しい日々の合間を縫って、自身のLP(注:CDではない)のプレス工場までわざわざ足を運び、レコードの製造過程をつぶさに眺めるというのだ。恐らくは、その場で出来立てほやほやの新譜のLPを試聴したことだろう(ジョージなら必ずそうするはず)。筆者の頭の中には、これまでインタヴューしたアーティストたちの印象に残った言葉や、実際に会ったことはなくてもどこかで見聞きした興味深いエピソードの数々が無数に記憶されているが、ジョージがプレス工場へ行って自分のLPの出来栄えを精査したという話は、生涯、忘れることはないだろう。筆者は〈〜魂〉という日本語を忌み嫌っているが、敢えてこの場で使わせてもらうなら、そのエピソードを知った時、ジョージのアーティスト魂に激しく心を揺さぶられたのだった。
筆者は、15年来の音楽仲間であり呑み仲間である男友だちに、「死んだら葬儀も墓も戒名も一切ナシにして、火葬してもらったら本牧の海に散骨して欲しい、と書いた遺書を何年も前から家人に渡してあるけど、お別れの会みたいなのをやってくれるのなら、このCDを流してちょうだい」と、自分で作ったCD-Rを託してある。その少し前に、膵臓ガンの疑いあり、との診断を受け、長生き願望がまるでない筆者は、「それならそれでいい」と生死を達観した。その際、今も通院している某病院の主治医(ディープ・パープルとイーグルスの大ファン。ついでに言えば、ジョージ、主治医、筆者の3人は奇しくも同じ1963年生まれ)に、「もしガンだったら手術も延命治療も絶対にしないで。でも痛いのはイヤだから、痛くなったらモルヒネをバンバン打って楽に死なせて」と言い放ったものだ。更には、その旨を毛筆で記して実印を押した〈嘆願書〉を主治医に渡し、今も筆者のカルテにはそれがクリップで留めてある。後に膵臓ガンの疑いは晴れたが、一度〈死〉を覚悟したこともあってか、ふいにそのCD-Rの作成を思いついた次第。そして収録した曲のうちのひとつが、個人的にはジョージ・マイケルが生んだ最高傑作だと思っている「アメイジング」だった。
ワム!解散後、数年を経て、ジョージは自分が同性愛者であることを公表した。それでも筆者の彼に対する深い思いの丈は変わることはなかった。ワム!時代に両耳にピアスを着けていた時から、漠然とそんな気がしていたため、特に驚きもせず、むしろ「ああ、これでやっとジョージも精神的に開放されて、これからは煩悩や邪念に縛られることなく、音楽活動に没頭できるのね」と、心から喜んだほどである。そしてそれ以降のジョージの音楽的感性はいよいよ研ぎ澄まされ、驚嘆を遥かに超越するほど完成度の高い曲を提示される度に、「彼は一体どこまで行ってしまうのだろう...?」という、歓心とある種の恐怖心が入り交じった、何とも表現のしようのない摩訶不思議な感覚に襲われてしまうのだ。
「アメイジング」が収録されている『PATIENCE』(2004年)は、1993年にエイズによる合併症で亡くなったジョージのかつての恋人アンセルモ・フェレッパへの哀悼の念を滲ませつつも、余人には到底理解できないジョージの心の闇に一筋の光明を射し込んでくれた、(当時の)新しい恋人ケニー・ゴス(出逢いは1996年、2009年に別離)に捧げられたアルバムである。ケニーはテキサス生まれの美術品ディーラーで、ジョージとレストランで初めて出逢った際、〈ジョージ・マイケルが誰であるか〉を知らなかった、という。そしてそのことが、ジョージがケニーに惹かれた最大の要因だった、と。つまりケニーは、ジョージを良くも悪くも有名人ーー超人気アーティストである一方では、同性愛者であることや、公共猥褻罪や麻薬使用での逮捕歴など、スキャンダルも多いーーという色眼鏡を通して見るのではなく、ひとりの人間として彼に接したわけだ。常に衆目を集め、アーティストとしての才能に着目されるよりも、スキャンダルばかりが先行していた当時のジョージにとって、それは奇蹟にも相当する出来事だったのではないか。〈ジョージ・マイケル=世界的に有名なアーティスト〉ではなく、〈ジョージ・マイケル=一個人〉として自分を見てくれる男性がこの世に存在していたとは...!!!!!!!! 筆者は、両者の出逢いにまつわるそのエピソードを思い出す度に、心の琴線を掻き鳴らされるような感覚に陥ってしまう。
歌詞の1stヴァースには、先に誘いをかけたのはケニーの方だった、ということを示唆するフレーズがある。が、ジョージは彼になかなかなびかなかった。何故なら、亡くなった恋人アンセルモのことを忘れられずにいたからだ。ところが、悲しみに沈んで自分の殻に閉じこもっていたジョージの心の扉を開けてくれたのが、ケニーその人だったのである。彼に捧げたこの曲の中でジョージは、彼との出逢い、そして彼の存在そのものを、〈amazing(現実とは思えないほど素晴らしい、夢のようだ、奇蹟かも知れない)〉と、ありったけの思いの丈を込めて高らかに謳い上げているのだ。性別を超えて、これほど純真無垢で歓喜に満ち満ちたラヴ・ソングを、筆者は寡聞にして外に知らない。だからリリースから8年が経った今でも、「アメイジング」のUKシングル盤は、ただの一度もCD棚に収まることなく、仕事机の傍らに置いてある、PC関連グッズや文具を山ほど積んだバイクの部品用カートの一番上のCD専用木箱の中に、いつでも取り出せるように納めてある。これまでどのぐらいくり返して聴いたかなんて、数えたこともないし思い出せもしない。千回? 否、1万回?ーー恐らくそれ以上の回数に達しているだろう。それでも飽きるどころか、益々、「アメイジング」への思い入れが深くなるばかりである。これは、今わの際まで聴いていたい曲のひとつだと道破してもいい。
ケニーとの出逢いから愛し合うようになるまでの過程をあけっぴろげに、しかしながら詩的に綴った歌詞の繊細さも然ることながら、どこかしら哀愁を漂わせつつも歓びの調べがそこに溶け込んでいるメロディ、シンプルでありながら、聴けば聴くほどにその音作りの妙技に唸らせられる作り込んだバックグラウンド・ミュージック、そして何にも況して、喉を自由自在に操るジョージの絶妙な節回しに心を鷲掴みにされ、魂を丸ごと奪われてしまう。♪Tell me... で始まるコーラス部分の♪The day you walked in and changed my life... の〈life〉の節回しは、この世でジョージにしか歌えない。そこを聴く度に、知らず知らずのうちに目を閉じてしまっている自分がそこにいる。無意識のうちに、だ。たったひと言の〈life〉を聴いただけでも、ジョージが不世出の歌い手であることが歴然とする。
奇蹟のような人物=ケニーと出逢い、あり得ないと思っていた奇蹟を身を以て体験したジョージ。もし仮に彼が同性愛者でなかったなら、この曲は今ここに存在し得なかった。それもまた神の采配だとするなら、「アメイジング」は〈the most amazing song ever〉であるに相違ない。加えてジョージは、曲の中でケニーこそが自分にとっての救世主=the saviorだと歌っている。神がジョージのもとに遣わした天使。『PATIENCE』には、ケニーに捧げた「アメリカン・エンジェル」なる曲も収録されている(歌詞がプリントされたブックレットの同曲の見開きの右ページには、笑顔のケニーの写真が掲載されている)。奇蹟は、偶然から引き起こされるものだろうか。否、筆者は決してそうは思わない。筆者は勝手に自分で意訳をつけた自作の諺(と言っては烏滸がましいが...)〈Things happen.(全ての偶然は必然である)〉を座右の銘としているが、ジョージが「アメイジング」を生み出したこともまた、〈one of the THINGS that HAPPENED in his life〉だったのだ。
(泉山真奈美)
【関連サイト】
Amazing
Patience(CD)
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